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花畑屋敷跡 : ウィキペディア日本語版
花畑屋敷跡[はなばたやしきあと]
花畑屋敷跡(はなばたやしきあと)は、江戸時代に現在の熊本県熊本市中央区花畑町にあった熊本藩大名屋敷跡で、肥後国を領した近世大名加藤氏細川氏の屋敷として使用され、史料には「御花畠」として見える。都市化が進んだ現在、屋敷南西部にあった庭園築山の一部が緑地として残り、「花畑公園」として市民に緑陰を提供している。
== 概要 ==
「御花畠」屋敷は、熊本城下の坪井川左岸に加藤清正によって遊興を楽しむための庭園付きの屋敷として慶長15年(1610年)7月頃には作事(建築工事)が行われているので同年中くらいには完成していた〔加藤清正黒印状(下川文書) 『新熊本市史』所収〕。寛永9年(1632年)、肥後の国守として細川氏が入国したが、熊本城本丸の御殿が不便という理由で寛永13年(1636年)6月には花畑屋敷を常の御殿として取立て〔『藩譜採要』〕、以後、庭園や建家の改修や増築を繰り返しながら幕末まで藩主の屋敷として使用した。屋敷の周囲は絵図に「五百一間六尺一寸」(約1,000m)とあり〔『御花畑御絵図』(永青文庫所蔵)〕、敷地面積が約5町(約5ha)の広大な屋敷だった。西側に正門があり、北側の坪井川筋に面して舟着場があった。
明治2年(1869年)に新しく屋敷が建てられたが、翌年には城内の藩庁が花畑屋敷に移転し、明治4年(1871年)の廃藩置県で鎮西鎮台の本営に提供され〔桜町・花畑地区の歴史的経緯 - 熊本市〕、明治10年(1877年)の西南戦争では全焼した。
西南戦争後は、歩兵第23連隊の兵舎用地となり、大正14年(1925年)の連隊移転まで使用された〔。連隊移転は「上下水道の整備」「路面電車の建設」と並ぶ熊本市の「三大事業」とされ、連隊移転直後には跡地で「熊本市三大事業記念国産共進会」が開催された〔〔IPRK 熊本都市計画研究所ニューズレター第2号 - 熊本市(2013年)〕。その後、跡地は官庁や会社の用地に転用され、昭和4年(1929年)に屋敷西南角にあった庭園の一部のみが「花畑公園」となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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