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苅田 種継(かりた の たねつぐ、生没年不詳)は、平安時代初期の貴族・儒学者。姓は首。子に紀安雄がいる。官位は従五位下・助教。 == 経歴 == 讃岐国苅田郡出身。天長8年(831年)直講を務めていた際、淳和天皇の神泉苑への行幸に召されて、主税頭・安野真継と『春秋』について、阿波守・善道真貞と『三礼』について議論をした〔『日本後紀』天長8年(831年)8月10日条〕。 承和2年(835年)外従五位下に叙せられる〔『続日本後紀』承和2年(835年)正月癸7日条〕。のち、従五位下・助教に叙任されている〔『日本三代実録』仁和2年5月28日条〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「苅田種継」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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