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若ノ國照夫 : ウィキペディア日本語版
若ノ國豪夫[わかのくに たけお]

若ノ國 豪夫(わかのくに たけお、本名:伊藤 照夫(いとう てるお)、1936年4月4日- )は、岐阜県海津郡南濃町(※現役当時、現在の同県海津市)出身で、花籠部屋(入門時は芝田山部屋)に所属した大相撲力士である。
現役時代の体格は181cm、125kg。得意手は右四つ、突っ張り、寄り。最高位は東前頭8枚目(1960年7月場所、1963年7月場所など)。
== 来歴・人物 ==
16歳の時、元前頭3枚目・大ノ海が率いる芝田山部屋に入門し、1953年3月場所で初土俵を踏んだ(その後、師匠の年寄名変更に伴い、同年5月より所属の部屋名が花籠部屋となる)。
2年近く幕下10枚目以内にあって足踏みをしたが、四股名を「照錦」から「若乃國」に改めた1959年1月場所では東幕下2枚目で7勝1敗と大きく勝ち越し、翌3月場所で十両に昇進。十両は4場所で通過して、同年11月場所にて新入幕を果たした。
稽古場では凄い力を発揮したが、負傷や気の弱い面があったため本場所では実力を発揮できずに幕内と十両との往復を繰り返して、入幕9回という記録を持っている(歴代4位、現在の1位は大潮憲司の13回。だが、廃業当時から1976年に前述の大潮によって更新されるまでは、歴代1位だった)。
1969年9月場所限りで廃業し、その後は大阪市で、相撲料理店「國乃家」とクラブ「ドラゴン」を経営した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「若ノ國豪夫」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Wakanokuni Takeo 」があります。



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