翻訳と辞書
Words near each other
・ 若ノ海秋夫
・ 若ノ花
・ 若ノ花勝
・ 若ノ花勝治
・ 若ノ里
・ 若ノ里雄三
・ 若ノ鵬
・ 若ノ鵬寿則
・ 若ヘンリー
・ 若ヘンリー王
若マルティン
・ 若一光司
・ 若一王子
・ 若一王子神社
・ 若三勝
・ 若三勝由章
・ 若三勝章明
・ 若三杉
・ 若三杉壽人
・ 若三杉寿人


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

若マルティン : ウィキペディア日本語版
マルティーノ1世 (シチリア王)[まるてぃーの1せい]

マルティーノ1世(Martino I, 1374年頃 - 1409年7月25日)は、シチリア王(在位:1390年 - 1409年)。アラゴンマルティン1世と王妃マリア・デ・ルナの子。スペイン語名は父と同名で、父(老マルティン)に対して若マルティン西:Martín el Joven, :Martino il Giovane, カタルーニャ語:Martí el Jove)と呼ばれる。父方の祖母レオノール(アラゴン王ペドロ4世の3番目の王妃)はシチリア王ピエトロ2世の娘であった。
1390年に従姉にあたるシチリア女王マリアと結婚した。1392年に老マルティン、マリアとともに軍勢を引き連れてシチリアへ侵攻し、反抗する諸侯を破った。マルティーノはマリアが1402年に死去するまで、共同でシチリアを治めた(その間、1396年に老マルティンがアラゴン王位を継承している)。その後、1372年に結ばれていた条約を無視して、マルティーノは単独の君主として支配を続けた。
マリアの死後、1403年にのちにナバラ女王となるエヴルー家の王女ブランカと結婚した。2度の結婚のいずれでも、成人した子は得られず、庶子ルナ伯ファドリケがいたのみだった。
マルティーノが1409年にサルデーニャカリャリで死去すると、父であるアラゴン王マルティン1世がマルティーノ2世としてシチリアも治めた。しかし翌1410年にはマルティン1世自身も死去し、マルティーノに先立たれて嗣子がいなかったため、王位継承者が定まるまでに2年を要した(カスペの妥協を参照)。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マルティーノ1世 (シチリア王)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Martin I of Sicily 」があります。



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.