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若井 はんじ・けんじ(わかい はんじ・けんじ)は、日本の兄弟漫才コンビ。昭和時代の高度経済成長期に活動した。略称は「はんけん」。同世代の「柳柳」こと上方柳次・柳太としのぎを削った。 == メンバー == * 若井 はんじ(わかい はんじ、1933年 - 1976年2月6日〔若井 はんじ コトバンク - 典拠は日外アソシエーツ『20世紀日本人名事典』(2004年)および同『新撰 芸能人物事典 明治~平成』(2010年)〕) : 兄。本名:若井 輝雄(わかい てるお)〔。ボケ担当。愛称は「はんちゃん」。 : 漫才師だった両親の巡業先の京都富貴席の楽屋で生まれる。子供のころからトランペット、ドラムといった楽器演奏をはじめとしたあらゆる芸を仕込まれた。1946年、12歳の時に「荒川照坊」の名で両親とトリオを組み〔第15回上方演芸の殿堂入り(平成23年度) 大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)〕、巡業先の愛知県半田市で初舞台。翌年、父親がメチルアルコールの多量摂取で死去したため、母子のコンビとなる。 : 短期間弟と漫才コンビを組んだのち、2代目大江美智子率いる名古屋市の女剣劇一座「大美劇団」に座長として入団。 : はんじ・けんじとして活動中の1975年に胃癌のため入院。一時快方に向かうが、同年12月に再入院し、翌年死去。 * 若井 けんじ(わかい けんじ、1935年4月18日 - 1987年11月26日〔若井 けんじ コトバンク - 典拠は上に同じ。〕) : 弟。本名:若井 修身(わかい おさみ)〔。ツッコミ担当。愛称は「けんちゃん」。 : 両親の巡業先の愛知県で生まれる。幼いころの病気で鼓膜が破れ右耳が全く聴こえなかった〔ABCラジオ『もうすぐ夜明けABC』2009年11月13日深夜放送分「ミッドナイト寄席」コーナーで弟子の若井みどりが語った。〕。 : 短期間兄と漫才コンビを組んだのち、はんじ・けんじ結成までは芸人を休業。 : はんじに先立たれたのち、同様に相方を病で失っていた上方柳太とコンビを結成するが、解散〔。その後はファンの仲介でスナックのマスターとなったり、シャッター製造会社を設立したりするなどしたのち、1983年9月に東大阪市議選に出馬し、初当選。民社党に所属〔。2期目を目指した1987年9月〔には、膝を悪くした影響で選挙活動が思うように行なえず落選し、芸能界に復帰。漫談をしていた〔が、同年自動車事故のため死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「若井はんじ・けんじ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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