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我修院 達也(がしゅういん たつや、1950年12月10日 - )は、東京都渋谷区広尾出身の日本の歌手・俳優・声優・作詞家・作曲家・編曲家・音楽プロデューサー。身長163cm、体重48kg、血液型B型。本名は「菅野彰之介(すがの あきのすけ)」、旧芸名は「若人 あきら(わかと あきら)」。 一本につながったカモメ型眉が特徴。玄制流空手道1級で双節棍(ヌンチャク)も使える。 == 来歴・人物 == 母が元女優であったことから、6歳から子役として活動。映画『私は貝になりたい』(1959年)など多数の有名作品に出演。18歳で「桜一平」として演歌歌手でデビュー。その後は「若戸章(わかど あきら)」「若人あきら」と数度の改名を行っている。この当時はナイトクラブで弾き語りをしたり、キャバレーのショー回りで生計を立てる。 テレビで若人あきら名義で郷ひろみの歌真似を隠し芸としてやったのがうけて、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)、『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ)、『ひるのプレゼント』(NHK)などで一躍人気者となり、レギュラー番組も増えた。 郷ひろみの家族とも旧知の仲で、郷が病気でベストテン番組(フジテレビ『ビッグベストテン』)に出演できなかった時、郷の母親の推薦で代役として歌ったこともある。 一時期、番組の中の一企画としてものまね四天王に対抗して、原一平(渥美清のものまねが得意)、鯉川のぼる(鶴田浩二のものまねが得意)とともに「ものまね大魔王」をテレビ東京の番組の中で結成する。 1991年、熱海市の海岸で釣りの最中突然行方不明となり、3日後に小田原市にて記憶喪失状態で発見された(後述)。 「我修院達也知誕」によると逆鯖読みの理由は、16歳で高校中退後、一人で生計を立てる為ナイトクラブで弾き語りをしようとしたが未成年の為に断られ、亡き父のスーツを着て髪型を変え髭を生やしてみると22 - 23歳に老けて見えると言われたことで思いつき、「22歳です!」と6歳上ということにして銀座のナイトクラブで弾き語りを始めたからである。 かつては実年齢より若く鯖読みしている、というのがもっぱらの噂で、当時同じ事務所だったビートたけしに「琵琶法師の前で眉毛を動かした」「本当は太平洋戦争に行った」「太平洋戦争で息子を亡くした」「生年月日は太陽暦元年旧正月」「邪馬台国に生まれた」などとネタにされていたことがある。 事件の影響で若人の名前が嫌になった本人は、イメージを刷新すべく、1993年に我修院達也へ4度目の改名(菩提寺の住職に依頼、経文から引用して付けてもらう。ゆえに作曲家のジョージ・ガーシュウィンから捩ったのではない)。改名当初は仕事に恵まれず、通信カラオケの編曲やキャバレー回りをしていた。1999年には、子供の頃から我修院(若戸)のファンだったという石井克人に起用され、映画『鮫肌男と桃尻女』に出演。さらに、「アスパラドリンク」(田辺製薬)のテレビCMやSMAP「Fly」のプロモーションビデオなど、石井の作品に数々出演。これが注目されて、スタジオジブリ作品での声優などの仕事が入るようになり、現在は“個性派俳優””怪優”として活躍している。 基本的には休みをとらず、テレビや映画撮影、営業ステージのない日も41人の弟子(プロ歌手)の歌唱指導やレコード会社の音楽プロデューサーをやりながら作曲編曲の仕事をしている為にスタジオに籠ることも多い、多忙な毎日である。また、郷ひろみの歌真似はテレビではもうやらないが、営業のステージでは今でも必ず披露するという(2004年度『いつみても波瀾万丈』にて、本人談)。 2007年12月にリリースされた郷ひろみのシングル曲「Good Times Bad Times」のプロモーションビデオに出演しており、同曲が使われているパチンコ新台「CR GO!GO!郷 2nd STAGE」(ニューギン)でも本人と共演している。2008年11月2日テレビ東京『田舎に泊まろう』に素顔と地声で出演、山口県周防大島町で約3キロ歩き11軒断られて12軒目でやっと泊る家を確保(オンエアー上では8軒目であるが)。大変な旅であったが、とても感動した旅であったとのこと(マネージャー談)。2011年10月「スマグラー」塚田マサコ(ジジイ)役で出演。その際、石井克人監督の注文により眉間を12年振りに剃り、髭を44年振りに伸ばしたらアゴ髭が真っ白で新キャラになる。声色は低音・中音・高音と使い分けている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「我修院達也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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