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若松美黄 : ウィキペディア日本語版
若松美黄[わかまつ みき]

若松 美黄(わかまつ みき、1934年10月15日 - 2012年8月1日)は、日本舞踊家振付家、舞踊研究家。北海道小樽市出身〔「若松美黄さん死去 - モダンダンスの第一人者」北海道新聞、2012年8月3日〕(札幌市生まれ)。

1950年代後半から60年前半にかけて、土方巽らとともに前衛的な創作舞踊を数多く発表し、日本のコンテンポラリーダンスの草分けとなる〔。その後若松美黄・津田郁子自由ダンスカンパニーを立ち上げ、作品を発表するほか、筑波大学日本女子体育大学東京女子体育大学などにおいて舞踊教育に携わり、日本のモダンダンスの枠組の拡大に努めた。


== 略歴 ==

*1934年 10月15日北海道札幌市に生まれる。生後まもなく小樽市に転居〔。
*1947年 小樽花園国民学校卒業
*1950年 東山中学校卒業
*1953年 千秋高等学校卒業、北海道大学法経学部入学
*1955年 沙原聖子に師事『最後の一葉』で初舞台
*1956年 津田信敏に師事
*1957年 北海道大学卒業、第3回新人公演にて『カタロシス』発表
*1958年 津田近代舞踊団所属
*1959年 三島由紀夫の後援により6人のアバンギャルドにて『アガペの死臭』発表
*1963年 菊田一夫の薦めにより東宝演劇部と専属契約。初期のミュージカル、歌舞伎、テレビでのショーなどに出演、振付
*1967年 若松美黄・津田郁子自由ダンスカンパニー設立
*1971年 同カンパニー公演『ふり』が文化庁芸術祭優秀賞受賞
*1973年 文化庁在外研修員としてヨーロッパ、アメリカへ行く
*1974年 米Riverside Ch. Theaterにて、Miki Wakamatsu Dance Performance "Five Interpretations of Love"発表
*1976年 同カンパニー公演『村へ帰る』が文化庁芸術祭優秀賞受賞
*1978年 筑波大学体育科学系に助教授として赴任
*1979年 同カンパニー公演『暗黒から光へ』が文化庁芸術祭優秀賞受賞
*1981年 同カンパニー公演『ジーキル博士とハイド氏の寓話』が文化庁芸術祭優秀賞受賞
*1985年 筑波大学体育科学系教授
*1987年 お茶の水女子大学教育学部にて非常勤講師
*1992年 日本アジアダンスイベント(JADE'93)ディレクター、日本文化経済学会理事
*1995年 環アジア世界舞踊連盟(World Dance Alliance Asia Pacific)副会長
*1996年 東京女子体育大学非常勤講師、社団法人現代舞踊協会常務理事
*1997年 沖縄県立沖縄芸術大学非常勤講師
*1997年 環アジア世界舞踊連盟(World Dance Alliance Asia Pacific)会長、中央民族大学北京)客員教授
*1998年 筑波大学退官、日本女子体育大学に教授として赴任
*1999年 紫綬褒章受章
*2006年 第16回財団法人松山バレエ団顕彰教育賞受賞
*2008年 同カンパニー公演『舞え舞へ蝸牛』が東京新聞舞踊芸術賞江口隆也賞受賞
*2010年 旭日小綬章受章

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「若松美黄」の詳細全文を読む



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