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若狭国分寺(わかさこくぶんじ)は、福井県小浜市国分にある寺院及び史跡。聖武天皇の勅願によって建立された国分寺の1つで、現在も釈迦堂や薬師堂が立ち、曹洞宗の寺院として存続している。山号は護国山。 釈迦堂は慶長16年(1611年)に山田一徳の勧進によって旧金堂跡に建立され、その後倒壊したが、宝永年間(1704年-1710年)に再建された。 == 史跡 == ===若狭国分寺跡=== 1972年から1975年にかけての発掘調査によると、寺域は230メートル四方、当時の条里制の区画に沿って建てられており、南大門・中門・金堂・講堂が軸線上に並び、東に塔が配置されていた。金堂の規模は桁行21.6メートル、梁行15メートル、基壇は南北21.9メートル、東西28.8メートル。前面に二か所の階段が設置され、中門へ東西二本の参道が伸びる。講堂の規模は不明確だが、東西に四間、南北に二間分の柱穴が確認された。塔の基壇辺長は約15メートル、初層の辺長は8メートル前後で、相輪の破片が30数個、発見されている。 また、金堂、講堂からの瓦の出土数が少ないことから、瓦葺ではなかった可能性が指摘されている。 寺院としては珍しく、敷地内に二つの古墳(国分寺古墳)が存在している。 調査の結果、遺存度の高さと資料としての重要性が考慮されて、1976年(昭和51年)12月23日、国の史跡に指定〔 〕された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「若狭国分寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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