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若狭国分寺 : ウィキペディア日本語版
若狭国分寺[わかさこくぶんじ]

若狭国分寺(わかさこくぶんじ)は、福井県小浜市国分にある寺院及び史跡聖武天皇の勅願によって建立された国分寺の1つで、現在も釈迦堂薬師堂が立ち、曹洞宗の寺院として存続している。山号は護国山。
釈迦堂慶長16年(1611年)に山田一徳勧進によって旧金堂跡に建立され、その後倒壊したが、宝永年間(1704年-1710年)に再建された。
== 史跡 ==

===若狭国分寺跡===
1972年から1975年にかけての発掘調査によると、寺域は230メートル四方、当時の条里制の区画に沿って建てられており、南大門・中門・金堂・講堂が軸線上に並び、東に塔が配置されていた。金堂の規模は桁行21.6メートル、梁行15メートル、基壇は南北21.9メートル、東西28.8メートル。前面に二か所の階段が設置され、中門へ東西二本の参道が伸びる。講堂の規模は不明確だが、東西に四間、南北に二間分の柱穴が確認された。塔の基壇辺長は約15メートル、初層の辺長は8メートル前後で、相輪の破片が30数個、発見されている。
また、金堂、講堂からの瓦の出土数が少ないことから、瓦葺ではなかった可能性が指摘されている。
寺院としては珍しく、敷地内に二つの古墳(国分寺古墳)が存在している。
調査の結果、遺存度の高さと資料としての重要性が考慮されて、1976年(昭和51年)12月23日、国の史跡に指定〔
〕された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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