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若葉山鐘[わかばやま あつみ]
若葉山 鐘(わかばやま あつみ、1895年3月9日 - 1958年4月27日)は、千葉県千葉郡(現:千葉県千葉市若葉区)出身の元大相撲力士。本名は小林 鐘(こばやし あつみ)。 == 来歴 == 1895年3月9日に千葉県千葉郡(現:千葉県千葉市若葉区)で生まれる。地元の小学校を卒業後は隣村の澱粉工場で勤務していたが、同郷の二十山にスカウトされて入門、1913年5月場所で初土俵を踏んだ。四股名の若葉山は「盛んなもの」の意として二十山が命名した。非常に稽古熱心で、番付に名前が記載されてからは負け越し知らずのまま1918年5月場所で新十両昇進、1920年5月場所で新入幕を果たした。 1925年1月場所では小結で8勝2敗の好成績を挙げ、優勝旗手の栄冠を手にしている。1922年5月場所から1931年10月場所まで31場所の長期に渡って幕内上位に定着していたのは地力の証明だが、土俵度胸が不足して立ち合いが下手で、松内則三から「若葉山 紅葉の頃に 立ち上がり」と一句詠まれるほど仕切り時間が長いために変わり身の速い力士に苦戦したことが、大関昇進を果たせなかった一因であるとされている。それでも怪力と固い脇を生かしつつ、諸筈押しで少しずつ攻める正攻法の押しで、相手が前に落ちそうになっても絶対に叩かずに最後まで押し込む正攻法の相撲を繰り広げた。 1933年5月場所を最後に現役を引退し、年寄・錣山を襲名して後進の指導に専念した。この間、先代から部屋を継承した小錦八十吉(2代)の死去によって二十山部屋が閉鎖(1943年)されると、双葉山相撲道場に移籍し、後進の岩平に四股名「若葉山」を譲渡した(岩平改め若葉山貞雄は、自身の引退後に年寄・錣山の名跡も譲り受けた)。1958年4月27日、年寄在籍中に死去。。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「若葉山鐘」の詳細全文を読む
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