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若三藤 成豊(わかみふじ しげと 本名:藤田 成豊(ふじた しげと)、1985年7月16日 - )は間垣部屋(現存せず)に所属していた、青森県弘前市出身の元大相撲力士である。身長176cm、体重193kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は西幕下14枚目(2006年11月場所)、血液型はB型。 ==略歴== 入門前は卓球をやっていたが本格的な活動はしていなかった。2001年3月間垣部屋に入門し初土俵を踏み二番出世、しかし序ノ口ではなかなか勝ち越せず苦労が続き、ようやく1年後の2002年3月場所に序二段に昇進した。 一旦怪我で番付を序ノ口下位まで番付を下げたが、復帰後は大きな体を生かした相撲で勝ち越しを続け、2004年1月場所に序二段上位で大勝ちして翌3月場所に三段目に昇進した。しかし新三段目の場所は負け越し、一場所で序二段に後退したが、翌5月場所は勝ち越して7月場所で三段目復帰してからは体を生かした積極的な相撲で三段目に定着し、2006年3月場所は三段目48枚目で5勝2敗の好成績を挙げて翌5月場所は三段目19枚目に番付を上げた。しかしその場所で3勝4敗と負け越してしまった。 しかし2006年9月場所では自己最高位の三段目18枚目の地位で見事7戦全勝で優勝を果たす。その中でも圧巻だった相撲は11日目の6番相撲の学生相撲出身の強豪の境澤(尾上部屋)戦で、境澤はこの場所の5番相撲まで本割で19連勝を果たしていた(前相撲、決定戦除く)。若三藤はこの境澤に対して攻められたが上手投げで下し、マゲを引っ張ったのではないかと物言いがついたが結局軍配通りで若三藤の勝ちとなり、若三藤が結局境澤の連勝をストップした形となった(その境澤はこの場所はこの相撲で敗れたものの6勝1敗で、2006年9月場所終了時点では境澤に本割で唯一の土をつけたのが若三藤となる)。 2006年11月場所でようやく幕下に進出し、非常に将来に期待がかかるが、幕下では壁に当たり4場所連続負け越し、とうとう幕下で勝ち越せないまま2007年7月場所では三段目に陥落してしまい、その陥落した場所も3勝4敗と負け越した。しかし番付が下がった同年の9月場所は11日目に2006年9月場所に三段目優勝以来の勝ち越しを決め、翌11月場所では三段目4枚目まで番付を戻し、見事5勝2敗と勝ち越し、2008年1月場所は4場所ぶりに幕下に復帰した。 しかしその場所は初日から3連勝と絶好のスタートをきったものの、4連敗で負け越し、幕下を6場所経験しているがまだ幕下での勝ち越し経験がなく、翌3月場所も1勝6敗と大きく負け越してついに6場所連続勝ち越しなしの幕下連続負け越しとなり2008年5月場所はまた三段目に陥落してしまった。その原因としては180キロを超えている巨体を持て余す相撲と自身の性格が原因だと思われている。しかし番付が下がった2008年秋場所では6勝1敗の好成績を残し、同年九州場所は3度目の幕下昇進を果たしたが、成績は3勝4敗と負け越し、これで幕下昇進以来7場所連続負け越しとなり、翌2009年初場所はまたも三段目に陥落してしまった。 しかし翌2009年初場所は4勝3敗と勝ち越して一場所での幕下復帰を決め、翌2009年春場所は初日から3連勝するなど好調で12日目に幕下8場所目にして初の幕下での勝ち越しを決め5勝2敗の好成績を挙げた。翌夏場所も勝ち越しを期待されたがそこから3場所連続負け越してまたもや三段目に陥落してしまった。その後1場所で幕下に復帰し2010年春場所は9日目に幕下で2度目の勝ち越しを決め5勝2敗の好成績を残した。翌夏場所、名古屋場所も勝ち越して2010年秋場所は番付を久々に幕下上位に戻したが、怪我のため初日から全休となり、翌場所も全休で結局関取昇進ならぬまま2010年九州場所限りで現役を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「若三藤成豊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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