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笘篠 賢治(とましの けんじ、1966年10月11日 - )は、愛媛県生まれ〔フジテレビONE「プロ野球ニュース」2014年10月23日放送で本人が発言〕、大阪府茨木市出身の元プロ野球選手(主に内野手)、野球解説者。 兄は元プロ野球選手の笘篠誠治。妻は本名:笘篠美和子(芸名松本典子)。姪は宝塚歌劇団99期生の姫歌ひな乃で、甥にはジャニーズJr.の笘篠和馬がいる(二人とも兄である誠治の子供)。ちなみに本人には3人の息子がいる。 == 来歴・人物 == 上宮高校では、2年時に控え外野手ながら春の選抜に出場。1回戦で仲田幸司、仲田秀司のバッテリーを擁する興南高を降すが、2回戦で明徳義塾に敗退〔「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年〕。この試合では途中出場を果たす。1年上のチームメートに捕手の光山英和がいた。 高校卒業後は中央大学に進学し、外野手として活躍。当時東都大学二部リーグに低迷していた中大を春季リーグから一部に昇格させる。一部リーグ優勝はならなかったが、4年時は主将をつとめ日米大学野球選手権大会、第30回アマチュア野球世界選手権日本代表となる。またソウルオリンピック野球日本代表に選出され銀メダル獲得に貢献した。一部リーグ通算44試合出場、176打数49安打、打率.278、10本塁打、17打点。 1988年のドラフト会議でヤクルトスワローズが3位指名で交渉権を獲得し契約金5000万円、年俸600万円で入団合意した〔朝日新聞、1988年12月2日付朝刊 (23面)〕。1年目から自慢の足を武器に活躍し、前半戦は3割近い打率をマーク、ジュニアオールスターゲームにも出場した。同年は、本職だった外野手ではなく二塁手として活躍。32盗塁を記録し新人王に選出された〔年度別成績 1989年 セントラル・リーグ 〕。 に野村克也が監督に就任してからは1992年の日本シリーズの開幕スタメンになったりとはしたものの出場機会は減っていった、二年目以降は本職の外野手や三塁手や遊撃手として出場することもあった。1997年の日本シリーズ前にヤクルトから戦力外通告を受ける。 に広島東洋カープにテスト入団し、その年の開幕スタメンに名を連ね、復活をアピールした。自身の不振や怪我、若手の台頭もあり翌限りで現役を引退。一軍守備走塁コーチをまで務めた。 その後は文化放送、およびフジテレビONEの『プロ野球ニュース』・テレビ新広島で解説者を務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「笘篠賢治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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