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茂木 康子(もぎ やすこ、1969年1月27日 - )は、日本の女性ブラジリアン柔術家(茶帯)、総合格闘家。東京都練馬区出身。ストライプル所属。JEWELSプロデューサー。 服部恵子と共に日本の女子柔術を牽引してきた「女子柔術界のパイオニア」。長い手足を活かした引き込み技を得意とし、「ピンクスパイダー」の異名を取る。選手活動の傍ら、ストライプルで女性専門の柔術クラスを開講するなど、後進の育成にも熱心である。 == 来歴 == 1998年からブラジリアン柔術を始め、これまでに全日本BJJやカンペオナートなど主要大会で優勝を収め、ムンジアルやパンアメリカンなど、海外の主要大会にも出場。2002年にはプロデビュー。 2004年5月16日、スマックガールのグラップリングトーナメントに出場。決勝で玉田育子に判定勝ちし優勝を収めた〔[スマックガール] 5.16 大森:組技2階級トーナメント BoutReview 2004年6月10日〕。7月11日に第1回大会が開催されたスマックガールの柔術大会「SMACK JIU-JITSU GIG」のスーパーバイザーに就任した〔[スマックガール] 7.11 千代田:柔術大会を初開催 BoutReview 2004年6月16日〕。 2005年からは総合格闘技にも進出。4月29日にはアイドル深谷愛相手にデビュー戦を行ない一本勝ち。3戦目となった11月29日のスマックガール・後楽園ホール大会ではトップファイターの渡辺久江と対戦。「36歳のチャンピオンロード」と銘打たれた〔渡辺久江と茂木康子がフライ級で激突 BoutReview 2005年10月28日〕この試合だったが、渡辺の猛攻の前に3度のダウンでKO負け、総合初黒星を喫した。 2006年は4月22日のスマックガール大阪大会で新人の長嶺妙子に判定負け、6月4日のプロ柔術でもみくに一本負けを喫した。9月24日の全日本アマチュア修斗選手権大会では女子フライ級決勝で富松恵美に判定勝ちし優勝(3名参加。1回戦シードで決勝のみ出場)するも〔第13回全日本アマチュア修斗選手権大会 修斗公式サイト〕、10月29日のブラジリアン柔術アジア大会では女子紫帯プルーマ級決勝で再びMIKUに敗れ、さらに12月17日のアマチュアブラジリアン柔術オープントーナメントでは、アジア大会で勝利した渋谷美雪と再戦し雪辱を許した。 2007年3月11日のスマックガールでは内藤晶子に判定負け、4月15日のアブダビコンバット日本最終予選では女子55kg未満級準決勝で塩田さやかにフロントチョークで一本負け〔[ADCC] 4.15 北沢:杉江、岡見、植松ら世界大会へ BoutReview 2007年4月20日〕。9月23日、第14回全日本アマチュア修斗選手権大会・女子フライ級に出場し、決勝で竹内鮎美に判定勝ちし優勝を果たした(2名参加で決勝のみ開催)〔第14回全日本アマチュア修斗選手権大会 修斗公式サイト〕。 2008年9月14日、第15回全日本アマチュア修斗選手権大会・女子フライ級に出場し、決勝で森岡恵に一本勝ちし優勝を果たした(3名参加。1回戦シードで決勝のみ出場)〔第15回全日本アマチュア修斗選手権大会 修斗公式サイト〕。9月27日に旗揚げが発表されたケージを使用した女性総合格闘技大会「VALKYRIE」のプロデューサーに就任し〔女子版ケージフォースが11.8ディファで旗揚げ BoutReview 2008年9月28日〕、11月8日に第1回大会を開催した。 2009年3月13日、DEMOLITION 090313でsakuraと対戦予定であったが、自身の体調不良により欠場となった〔【デモリッション】明日のスターを目指すデモリッションマンたちが秒殺の競演! 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年3月13日〕。10月24日、VALKYRIEに選手として初登場しVALKYRIE 03のメインイベントで練習仲間でもある瀧本美咲と対戦し、3Rにスタンドパンチ連打によるTKO負けを喫した。 2010年4月11日、VALKYRIE 05で内藤から改名したベティコと3年1か月ぶりに再戦し、判定負け。VALKYRIE2連敗となった。 VALKYRIEが2010年11月の大会を最後に興行開催が不可能となり、選手たちは2011年から競合興行だったJEWELSに出場、茂木も12月17日のJEWELS 17th RINGからプロデューサーに就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「茂木康子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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