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茨木惟昭 : ウィキペディア日本語版
茨木惟昭[いばらき これあき]

茨木 惟昭(いばらき これあき、嘉永2年9月9日1849年10月24日) - 大正3年(1914年7月14日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将男爵
== 経歴 ==
紀州藩士・茨木藤助の長男として生まれる。1871年陸軍大尉に任官。以後、歩兵第10番大隊取締、大坂鎮台歩兵第10番大隊長を経て、1874年2月から翌月にかけて佐賀の乱に出征。1877年3月から10月にかけて歩兵第10連隊長として西南戦争に出征した。
歩兵第14連隊長、大阪鎮台参謀長参謀本部副官近衛参謀長、陸軍戸山学校長などを歴任し、1890年6月、陸軍少将に進級。
日清戦争には歩兵第11旅団長として、1895年1月から12月にかけて出征した。戦後、第2軍司令部付として金州行政長官、さらに占領地総督府民政部長、同総督府参謀長兼民政部長を務めた。歩兵第8旅団長を経て、1896年10月、陸軍中将となった。第6師団長を務め、1900年4月、予備役に編入。
日露戦争勃発に伴い召集を受け、1904年3月、留守第4師団長を1906年1月の召集解除まで務めた。1911年4月1日に後備役となる〔『官報』第8363号、明治44年5月11日。〕。
1895年8月、男爵の爵位を授爵し華族となり、1905年12月から1911年7月まで貴族院男爵議員在任。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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