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荀士遜(じゅんしそん、生年不詳 - 577年)は、中国の北斉の文学者。本貫は広平郡。 ==経歴== 学問を好み、文章の美しいことで知られた。東魏の武定末年、司州で秀才に挙げられたが、北斉の559年まで仕えなかった。560年、馬敬徳に推薦されて主書となった。武成帝のとき、中書舎人に転じた。その文辞のために用いられたが、容貌が醜いことでも知られた。あるとき武成帝に伝奏する者が士遜の姓名を言わず、醜舎人と言ったところ、武成帝は「必ずや士遜だろう」と言い、封題を見たところそのとおりだったので、内廷の人で笑わない者はなかった。後主が即位すると、中書侍郎に累進した。李若らとともに『典言』を撰した。577年、死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「荀士遜」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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