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荊浩(けい こう、生没年不詳)は、唐末・五代後梁の山水画家である。字は浩然。山西沁水出身。華北山水の祖とされる。中原の混乱を避け、太行山中の行谷(河南省林州)に隠れ住んだといわれる。唐代において発展を遂げた、華北の呉道玄の筆線と、江南の項容の水墨による山水画表現を統合し、以降の華北山水画隆盛の基礎を作り上げたと考えられる(『宣和画譜』1120年序)。自身の画論を記した『筆法記』を残す。 代表的作品として挙げられるのは「匡廬図」(ぎょうろず)である。輪郭線や細部の描写に意識を集中し、主な特徴としては上から下まで弓のように繰り返す線のパターンは山容に立体感を与える。 のちの華北系の范寛に影響を与える。 == 伝承作 == * 匡廬図(台北・故宮博物院)1幅 絹本墨画 原本は唐末五代 *: 現存作品は南宋を下らない時期の重模本と考えられる。 * 雪景山水図(カンザスシティ・ネルソン・アトキンズ美術館)唐末五代初 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「荊浩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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