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荒井公三 : ウィキペディア日本語版
荒井公三[あらい こうぞう]
荒井 公三(あらい こうぞう、 - )は、日本の元サッカー選手、日本代表選手広島県佐伯郡能美町(現江田島市)出身。
== 来歴 ==
広島工業3年時の1968年全国高等学校サッカー選手権3位〔『週刊サッカーマガジン』2011年6月14日号 、p70〕。ユース日本代表にも選出され第11回アジアユース選手権(AFCユース選手権)出場。この時の代表メンバーは18人中9人が広島出身者で〔『栄光の足跡 広島サッカー85年史』広島サッカー85年史編纂委員会 財団法人 広島県サッカー協会、2010年、p71〕、多くが日本サッカーリーグ(JSL)に進み、各チームの主力選手として活躍した〔。(詳細は崎谷誠一の項目を参照)。
所属した古河電工でも日本代表でも1970年代の主力選手の一人として活躍。所属チームでは若き古河を象徴するダイナミックなMFとして守備を引き締め永井良和奥寺康彦らと1976年、古河電工念願の日本サッカーリーグ初制覇、天皇杯制覇の二冠、翌1977年JSLカップ制覇などに貢献した〔田中孝一『サッカーの物語』kkベストセラーズ、2001年、p162〕。ロングパス、ロングシュートに威力を発揮、人にも強く、センターバックとしてもプレーした〔。
日本代表には1970年サウサンプトンFC来日試合Cマッチに19歳で初出場。国際Aマッチをなかなか行えない時代であったが、以降1977年まで、国際Aマッチ47試合に出場し4得点を挙げた。これは同学年では藤島信雄64試合に次ぐもので、その他を含めると123試合で日本代表としてプレーしている〔。
古河電工では守備的な仕事が多かったが、代表では攻撃的MFとしても活躍した〔時事ドットコム:サッカー今むかし -日韓戦、37年ぶりの「大勝」 時事通信社 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「荒井公三」の詳細全文を読む



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