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荒井 幸雄(あらい ゆきお、1964年10月13日 - )は、神奈川県横浜市金沢区出身〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、20ページ〕の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。 愛称は同姓のタレント・荒井注にちなみ「チューさん」。 == 来歴・人物 == 横浜市立六浦中学校、横浜商業高校卒業。横浜商業でのポジションは中堅手で高校通算43本塁打を記録している〔。の春の選抜に出場。2年生エース三浦将明を擁し準決勝に進出するが、この大会に優勝したPL学園の榎田健一郎投手に抑えられ、2-3xで9回サヨナラ負け〔。社会人野球の日本石油に所属、ロサンゼルスオリンピック野球日本代表では四番に座り金メダル獲得に貢献した〔。同年の日本・キューバ国際野球大会でも日本代表に選出されている。の都市対抗でも日本石油の四番として活躍。 同年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズに2位指名され入団。プロ生活2年目のには打率.301を記録し、セントラル・リーグ最優秀新人に選出された〔。公称で身長170cmという小柄な打者だったが、バッティング技術が高く、ヤクルトの好成績に貢献した。 *5月25日の中日ドラゴンズ戦は、千葉マリンスタジアムで初めて行われたプロ野球の試合であったが、この試合の5回裏に荒井は中日・小松辰雄から右翼線に大きな当たりを放ち、ダイビングキャッチを試みた右翼手のマーク・ライアルが打球を見失っているうちに長駆生還。同球場初の本塁打は荒井のランニング本塁打だった。 *7月5日に行われた読売ジャイアンツ戦(明治神宮野球場)で、バントのサインの確認を怠った荒井は、タイムをかけた野村克也監督にネクストバッターズサークルで頭を叩かれた(「荒井ポカリ事件」)。後に野村は「あの時は冷静さを欠いていた」として荒井に謝罪している。 *、東京デジタルホンの携帯電話のCMに野村の他、同僚の広沢克己、池山隆寛、古田敦也、荒木大輔らと共に出演している。 、木下文信との交換トレードで小坂勝仁とともに近鉄バファローズへ移籍し、、無償トレードにより横浜ベイスターズへ移籍。4月27日の広島東洋カープ戦に代打として出場し、通算1000試合出場を達成した(荒井はこのとき三振に倒れており、三振しながら球場職員から花束を受け取るシーンはこの年の「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」に多用された)。 に現役を引退。翌からコーチとしてヤクルトに復帰しまでヤクルト二軍打撃コーチ、-は北海道日本ハムファイターズ二軍打撃コーチ、2010年から5年間巨人の二軍打撃コーチを務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「荒井幸雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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