翻訳と辞書
Words near each other
・ 荒井葉月
・ 荒井蛍
・ 荒井裕司
・ 荒井裕樹
・ 荒井製作所
・ 荒井訓
・ 荒井貿易
・ 荒井貿易株式会社
・ 荒井賢一
・ 荒井賢太
荒井賢太郎
・ 荒井車両基地
・ 荒井輝年
・ 荒井退造
・ 荒井邦彦
・ 荒井郁之助
・ 荒井静香
・ 荒井香織
・ 荒井駅
・ 荒井駅 (兵庫県)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

荒井賢太郎 : ウィキペディア日本語版
荒井賢太郎[あらい けんたろう]

荒井 賢太郎(あらい けんたろう、文久3年10月15日1863年11月25日) - 昭和13年(1938年1月29日)は、日本の官僚政治家新潟県士族〔『人事興信録. 7版』(大正14年)あ六五〕。
農商務大臣枢密院副議長などの要職を歴任した。
== 経歴 ==
新潟県出身。高田藩士荒井直静の子。新潟師範学校(現在の新潟大学教育学部)を卒業し、一時小学校で教鞭を取った後、上京。帝国大学法科大学(現在の東京大学法学部)でフランス法を修める。同期には、若槻礼次郎(後の内閣総理大臣)、安達峰一郎らがおり首席を競う。1892年に帝国大学を卒業した後、大蔵省に入省。主計局長などの要職を歴任した。大蔵省時代には、和仏法律学校(現在の法政大学)の講師も務めている。
1907年、韓国に渡り、統監府参与官となる。1910年に朝鮮総督府度支部長官に就任。1917年5月16日〔『官報』第1436号、大正6年5月17日。〕から1926年10月まで貴族院勅選議員を務めた。
1922年、加藤友三郎内閣に農商務大臣として初入閣。1926年、枢密顧問官となる。1936年、枢密院副議長に就任したが、1938年、在職中に没した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「荒井賢太郎」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.