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荒尾成昌[あらお なりまさ]
荒尾 成昌(あらお なりまさ)は、江戸時代の武士(鳥取藩家老)。米子荒尾家6代目。 == 経歴 == 享保10年(1725年)、鳥取藩家老荒尾成庸〔分家成紹(成直四男)の養子で、旗本池田友政の子。〕の長男として生まれる。本家成昭の養子となり、延享元年(1744年)1月、藩主宗泰に初めて御目見する。延享4年(1747年)11月、養父成昭死去により、寛延元年(1748年)1月20日、家督相続を認められ、伯耆米子領主となる。同年7月29日死去。享年23。家督は、実弟成熙が急養子となって相続した。 先代成昭が江戸で没した際に、弘福寺に埋葬され、法名に殿号が加えられた。それを国元の荒尾家代々の菩提寺興禅寺に申し渡したところ、住職柏仙和尚が承引せず確執を生じており、檀家を離れ、遺骸は米子了春寺に埋葬された。同年11月、荒尾家下屋敷の地に新しく顕功寺が建立され、代々の位牌を安置して、悉く殿号が加えられた〔因府年表続編上〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「荒尾成昌」の詳細全文を読む
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