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荒尾成煕 : ウィキペディア日本語版
荒尾成煕[あらお なりひろ]

荒尾 成熙(あらお なりひろ)は、江戸時代武士鳥取藩家老)。米子荒尾家7代目。
== 経歴 ==
享保20年(1735年)、鳥取藩家老荒尾成庸の次男として生まれる。
寛延元年(1748年)7月、本家を相続していた兄成尚の死去により、急養子となって家督を相続し、米子城代となる。幼いため、実父成庸が後見と米子の仕置代行を命じられた。寛延2年(1749年)3月、後見の実父成庸が死去。同年8月、初めて米子入りする。寛延3年(1750年)10月、荒尾斯就の娘と結婚。宝暦9年(1759年)、藩主重寛の将軍徳川家重への初御目見の際、共に登城し、拝謁を賜る。
宝暦10年(1760年)11月、御職家老(執政家老)となり若年の藩主重寛を補佐し、藩政を主導する。宝暦11年(1761年)10月、御根取となる。同年、宝暦の改革の推進者である郡代元締役安田成信を罷免させる。成信が推進してきた請免制を基礎とする農政は、商品作物の生産流通を重視する政策に変更された〔藤野保『近世国家解体過程の研究後編 幕藩制と明治維新』〕。
明和8年(1771年)4月、後桃園天皇即位式の祝賀使を務める。安永7年(1778年)8月、病により辞職。天明3年(1783年)12月、藩主治道の家督相続御礼言上の際に、共に登城して将軍家治に拝謁。
天明7年(1787年)7月14日死去。享年53。家督は嫡男成尚が相続した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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