翻訳と辞書
Words near each other
・ 荒尾干潟
・ 荒尾成倫
・ 荒尾成利
・ 荒尾成尚
・ 荒尾成房
・ 荒尾成昌
・ 荒尾成昭
・ 荒尾成煕
・ 荒尾成直
・ 荒尾成章
荒尾成緒
・ 荒尾成裕
・ 荒尾成重
・ 荒尾斯就
・ 荒尾村
・ 荒尾村 (岐阜県)
・ 荒尾村 (愛知県)
・ 荒尾氏
・ 荒尾清心斎
・ 荒尾為就


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

荒尾成緒 : ウィキペディア日本語版
荒尾成緒[あらお なりつぐ]

荒尾 成緒(あらお なりつぐ)は、江戸時代武士鳥取藩家老)。米子荒尾家9代目。10代清心斎の養父。

== 経歴 ==
寛政7年(1795年)、鳥取藩家老荒尾成尚の長男として生まれる。
文政元年(1818年)8月、父の隠居により家督相続し、米子城代となる。文政2年(1819年)8月、初めて米子入りして一ヶ月あまり滞在した。米子入りの行列は壮麗を極め、その評判は鳥取城下にまで聞こえた。
特に、行列の所持する弓が、国主・城主にのみ許された「白藤巻の御弓」であったことは、人々を驚かせ、着座筆頭荒尾家〔鳥取藩では家老となる家柄を「着座十家」と呼び、特に米子荒尾、倉吉荒尾、和田、津田、鵜殿、乾の6家は「上六家」と呼ばれ、「下四家」米子分家、倉吉分家、池田(下池)、池田(山池)より格上とされた。また、「上六家」の中でも、功臣荒尾三兄弟の子孫の、米子荒尾、倉吉荒尾、和田の三家は、特に藩主家から特別扱いを受ける家柄であった。〕の藩内での権勢を示す出来事であった〔『米子市史』〕。
文政9年(1826年)10月、家老となる。文政10年(1827年)4月、内匠介と改名。嘉永元年(1848年)6月藩主池田慶行が早世。7月、江戸に出府し、加賀藩邸より、養子として藩主家相続が決まった慶栄を迎える。嘉永3年(1850年)12月、新藩主となった慶徳の将軍徳川家慶面前での元服の際に、ともに登城し将軍に拝謁を賜る。
嘉永4年(1851年)9月、隠居して家督を養子成裕(弟成孝の子)に譲る。文久2年(1862年)10月3日死去。享年66。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「荒尾成緒」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.