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荒尾為就 : ウィキペディア日本語版
荒尾為就[あらお ためなり]

荒尾 為就(あらお ためなり)は、江戸時代後期の鳥取藩家老。倉吉荒尾家8代。
== 生涯 ==
明和8年(1771年)、鳥取藩家老荒尾厚就の子として生まれる。
天明6年(1786年)12月、父の死去により家督と知行1万1000石を相続し、倉吉領主となる。家老として池田治道から池田慶徳まで7代の藩主に仕えた。
鳥取藩出身の歌人香川景樹とは親友で、為就自身も和歌を嗜み、寛政4年(1792年)に「藤川百首題詠草」を編纂した。
寛政5年(1793年)、御職家老(執政家老)となる。文化5年(1808年)5月、藩主斉稷初入国の供をする。文化14年(1817年)10月、江戸に出府し、藩主斉稷の養子となった、将軍徳川家斉の十三男斉衆を、藩邸に迎える。文政12年(1829年)、長年の勤労を賞され1000石の加増を受ける。文政13年(1830年)11月、御職家老を辞任〔『因府年表 続々』〕。
嘉永元年(1848年)、隠居して家督を世就に譲る。嘉永6年(1853年)死去。享年83。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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