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荒尾甫就 : ウィキペディア日本語版
荒尾甫就[あらお ひろなり]

荒尾 甫就(あらお ひろなり)は、鳥取藩家老。倉吉荒尾家5代。
== 生涯 ==
宝永5年(1708年)、旗本永井尚附の三男として江戸に生まれる。
享保17年(1732年)11月、倉吉荒尾分家、荒尾仙就の養子となり遺跡を相続する。同年12月、藩主吉泰に初めて拝謁する。
享保20年(1735年)閏3月、御職家老(執政家老)となる。同年11月、本家勝就の死去により、その家督を相続する。元文元年(1736年)5月、江戸にて御勝手御根取作廻を仰せつかる。12月御職を辞職。
寛保元年(1741年)2月、菩提寺の景福寺住職選定問題で閉門処分を受ける。景福寺住職選定は、先代住職の遺言を以って、当山開基の荒尾家が定める慣例であったが、先代住職愚中の遺言を無視して、先々代萬林の弟子萬国と定めたことから、憤った愚中の弟子や仕えていた僧侶達が幕府に訴えた。同年6月、処分が解かれるも、再三にわたり隠居を願出て、寛保2年(1742年)2月、重病を理由として隠居が認められる。同年3月、分家の斯就が家督を相続。甫就は名を、和泉から典厩に改め、更に4月に内匠と改めた。
明和4年(1767年)9月2日江戸で死去。享年58。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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