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荒尾秀就 : ウィキペディア日本語版
荒尾秀就[あらお ひでなり]

荒尾 秀就(あらお ひでなり)は、江戸時代鳥取藩家老。倉吉荒尾家三代。

== 生涯 ==
慶安4年(1651年)、鳥取藩家老荒尾嵩就の三男として生まれる。
寛文2年(1662年)、父嵩就の隠居により兄宣就が家督相続すると、その養子となり藩主光仲に御目見する。天和3年(1683年)5月、宣就の死去により家督相続し、倉吉荒尾家当主となる。
貞享2年(1685年)3月、御職家老(執政家老)となる。元禄8年(1695年)、男子のいない藩主綱清の後継者として、その甥の吉泰を養子に迎える。継嗣決定に当たっては、当初、藩主綱清が希望する弟清定に継嗣に内定していたが、清定は側室の出生で、光仲正室で綱清の母・芳心院(徳川頼宣の娘)の子ではなかったため、家老の秀就と、芳心院〔「因府年表」に芳心院は、実家の紀州家より甥新之助を養子に迎える考えがあったと記す。〕、実家の紀州徳川家、芳心院の産んだ綱清の弟仲澄が協力して、仲澄の長男長吉(吉泰)に継嗣を変更することに成功した。この件に不満を持った綱清は、元禄13年(1700年)、病を理由に隠居してしまう。吉泰が藩主となると、擁立の功労者として藩政を主導した。
元禄9年(1696年)、御蔵奉行米村広治を西伯三郡の奥引奉行に抜擢し、定免制(請免制)を導入して藩財政の建て直しを図る。享保元年(1716年)、病身であった嫡男常就の養子に分家重就嫡男の豊就を迎える。享保2年(1717年)、屋敷に一揆勢の強訴を受け、藩は、2700石の救米の給付を行うことで一揆の沈静化を図った。享保3年(1718年)4月、嫡男常就が33歳で没したため、養孫豊就を養子とする。享保10年(1725年)6月、志摩を美作と改名、養子豊就も右近を志摩と改名した。享保11年(1726年)4月、養子豊就が27歳で早世。同年8月、分家重就の養子となっていた勝就を養子に迎えた。
享保13年(1728年)4月3日死去。享年77。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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