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荘公(そうこう、紀元前?年 - 紀元前735年)は、衛の第12代君主。武公の子。衛にはのちにも同じく荘公と諡された君主がいる(荘公蒯聵)。 == 生涯 == 武公の子として生まれる。 武公55年(前758年)、父の武公が薨去したため、子の公子揚(以降は荘公と表記)が立った。 荘公5年(前753年)、荘公は斉の公女(荘姜)を娶って夫人とした。 彼女は美貌だったが子ができなかったため、荘公はまた陳の公女(厲嬀)を娶って第二夫人とした。ようやく彼女との間に子(孝伯)が生まれたが、早くに亡くなったため、今度は陳公女の妹(戴嬀)を娶って第三夫人とし、完という子を授かった。 完の母である陳夫人(戴嬀)が死去したので、荘公は第一夫人である斉夫人(荘姜)に完を預けて養育させ、太子に立てた。また、荘公には寵愛する妾がおり、彼女との間にも州吁(しゅうく)という子を授かった。 荘公18年(前740年)、州吁が成人して兵戦を好んだので、荘公は彼を将軍に任命した。このとき上卿の石碏(せきしゃく)が諫言したが、荘公は聞き入れなかった。 荘公23年(前735年)、荘公が薨去し、太子の太子完が立った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「荘公揚」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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