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荘公贖[そうこう しょく]
荘公 贖(そうこう しょく、? - 紀元前731年)は、斉の第12代君主。荘公というのは諡で、贖は諱である。原文では荘公購と表記されるが、購(こう)は贖(しょく)の誤りとされている〔『史記1』(筑摩世界文學大系6 筑摩書房)p211脚注(20)「購は贖の誤りか」〕。斉では後にもう一人荘公を諡とする君主がいる(→荘公光)。 == 生涯 == 成公の子として生まれる。 成公9年(前795年)、成公が薨去したため、子の贖が立って斉君となった〔『史記』「斉太公世家」〕(以降は「荘公」と表記する)。 『史記』には成公在位中の記事として、以下の2つの出来事を記す。荘公24年(前771年)、周の幽王が犬戎(けんじゅう)〔犬戎は西の異民族。〕に殺され、周は都を東の雒(らく)〔現在の河南省洛陽市付近。〕に遷した〔。荘公24年(前739年)に晋の昭侯が臣下に殺害された〔。 荘公64年(前731年)、荘公が薨去し、子の禄甫(ろくほ)が立って斉君(釐公)となる〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「荘公贖」の詳細全文を読む
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