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荘尤 : ウィキペディア日本語版
荘尤[そう ゆう]

荘 尤(そう ゆう、? - 23年)は、中国代の武将、政治家。伯石王莽に仕えた将軍である。史書では厳尤と表記されているが、これは後漢明帝「荘」を避けているためである。
== 事跡 ==

=== 対外戦争での活躍 ===

始建国2年(10年)、王莽は匈奴単于の称号を降奴服于と改め、立国将軍孫建に12人の将軍を率いさせ、五路からこれを討伐させた。荘尤は討穢将軍として12人の将軍の1人となり、誅貉将軍陽俊と共に漁陽郡から出撃している。
始建国4年(12年)、王莽は高句麗に匈奴討伐を命じたが、高句麗軍はそれを望まずに退却し、退却を阻もうとした遼西大尹の田譚は高句麗軍に殺害された。王莽が怒って高句麗を討伐しようとすると、荘尤は高句麗を赦すよう進言したが、王莽は聞かず、荘尤に高句麗討伐を命じた。荘尤は高句麗侯騶を討ち取り、その首級を長安に送っている。
天鳳3年(16年)7月の日食の出現を理由に、大司馬陳茂が罷免されたため、武建伯に封じられていた荘尤が、後任の大司馬に任命された。
天鳳6年(19年)、荘尤は王莽から匈奴攻撃を命じられたが、荘尤はまず国内の赤眉軍などに対処すべきであるとして、故事をもって婉曲に諌めた。しかし王莽の激怒を買い、大司馬、武建伯の位を剥奪され、故郷に帰された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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