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荘林幸輝(しょうばやし こうき、1955年5月24日〔蛭子能収『競艇入門』、ポケットブック社、1992年11月、P160。〕〔 - )は、熊本県熊本市出身〔のやまと学校教官にして元ボートレーサーである。登録番号2833。身長163cm。血液型AB型〔。42期〔木村1992、126頁。〕。 ==来歴== 1955年5月24日、熊本県熊本市に生まれる〔木村1992、125頁。〕。熊本県立熊本工業高等学校機械科を卒業後、大阪の日立造船桜島工場に就職した〔。同僚の勧めで競艇選手養成所の試験を受け、合格〔木村1992、125-126頁。〕。1978年5月デビュー、同年6月に初勝利。 通算で50回の優勝、GIでは8回の優勝があるものの、SGでは19回もの優出経験がありながら優勝はゼロ。それゆえに「無冠の帝王」と呼ばれる〔。2007年大村競艇場・競艇名人戦では優出1号艇を決めたものの、レースで大嶋一也にインを奪われるとそのままイン逃げを決められ、2着に終わった。 2011年6月8日、丸亀競艇場2Rで3コースからまくりで勝ち、史上78人目となる2000勝(7320走目での記録)を達成した。〔荘林幸輝が史上78人目の2000勝を達成(デビュー) 〕 2012年12月25日を以て選手登録を抹消、引退。その後は、翌年1月よりやまと学校の教官に就任した。〔名バイプレイヤー 荘林幸輝が養成機関「やまと学校」教官に就任 - BOAT RACE OFFICIAL WEB SITE 2012年12月25日〕 == 人物・エピソード== *落ち着いた性格の持ち主で、口癖は「あわてたって仕方がないでしょう」〔木村1992、130頁。〕。 * 42期は、荘林幸輝、平野勇志、吉田稔、久間繁、刀根辰治らがいて逸材揃いといわれた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「荘林幸輝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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