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荻原 郁夫(おぎはら いくお、1954年5月16日 - )は、日本の実業家。元アルペンスキー選手。選手時代は山本郁夫名義で活動していた。 ==来歴・人物== 群馬県吾妻郡草津町出身。実父は草津町議会議員を務めた山本雅雄〔父がお世話になりました。 龍のブログ 2010年2月9日付〕〔2人のおやじ 2つのゴルフ 日経BPエグゼクティブゴルフ〕。実弟は前橋市長(元群馬県議会議員)の山本龍。 オリンピック出場を目指し、スキーの名門である野沢温泉村立野沢温泉中学校、長野県白馬高等学校を経て明治大学に進学。 高校、大学、社会人を通じてアルペンスキー選手として活動し、全日本スキー連盟のナショナルチームに所属。冬季国民体育大会や全日本スキー選手権、ワールドカップ、1974年アルペンスキー世界選手権(スイス・サンモリッツ)といった主要大会に出場するなど〔連載25 記録に見る日本のスキー競技史 1974年(昭和49年) 日本スキー連盟オフィシャルサイト 世界選手権大会代表の項参照〕、主にヨーロッパを転戦する選手生活を送る。 スキーの縁で日本楽器製造に入社。日本楽器で夫人と出逢い結婚と共に荻原家に婿入りした〔。杏林薬品を経て、杏林製薬に入社。 1998年に同社社長に就任した後は、持ち株会社制への移行、東京証券取引所1部上場などを果たした。実現には至らなかったが、帝人との事業統合を模索し、上場前の2003年には医療医薬品事業の統合を発表したが、3ヶ月後に破談を発表した〔キョーリン製薬ホールディングス 月刊『集中』2011年11月14日〕。 2008年4月に自身の健康上の理由により、杏林製薬社長を退任した〔キョーリン 荻原社長が退任、健康上の理由で ミクスオンライン 2008年4月27日付〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「荻原郁夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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