翻訳と辞書
Words near each other
・ 荻田尚子
・ 荻田常三郎
・ 荻田庄五郎
・ 荻田悦造
・ 荻田本繁
・ 荻田泰永
・ 荻田浩一
・ 荻田清
・ 荻田長磐
・ 荻田長繁
荻田隼人
・ 荻町
・ 荻窪
・ 荻窪 (小田原市)
・ 荻窪 (杉並区)
・ 荻窪えき
・ 荻窪さくらや
・ 荻窪インターチェンジ
・ 荻窪オデヲン座
・ 荻窪カメラのさくらや


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

荻田隼人 : ウィキペディア日本語版
荻田長磐

荻田 長磐(おぎた ながいわ)、通称荻田 隼人(おぎた はやと)は、江戸時代初期の越後高田藩家老荻田勝定の子で、荻田主馬(三代目)の名で有名な荻田長繁の孫。妻は神尾守勝の娘。子に荻田本繁神尾守勝がいる。
==経歴==
寛永12年(1635年)、父・勝定の死去により家督を継ぎ、高田藩家老・糸魚川城代(1万4千石)となる。筆頭家老の小栗正高と共に藩政を支え、藩主松平光長を補佐した。また、正高と共に新田開発を推進し、現在の南魚沼市新堀新田は、長磐により開発された村という。
寛文5年(1665年)に発生した越後高田地震により、正高ともども圧死した。
長男の本繁は、越後騒動の中心人物として知られる。次男の吉繁は、旗本神尾守正末期養子となり、神尾守勝と名乗った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「荻田長磐」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.