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荻野忠寛 : ウィキペディア日本語版
荻野忠寛[おぎの ただひろ]

荻野 忠寛(おぎの ただひろ、1982年4月26日 - )は、元プロ野球選手で、現在は社会人野球日立製作所硬式野球部に所属する投手である。
== 来歴 ==

=== プロ入り前 ===
東京都町田市出身。四人兄弟の次男。桜美林高等学校を経て神奈川大学に進学、4年時のには全日本大学野球選手権大会に出場した。神奈川大学リーグで通算50試合登板、33勝7敗、防御率0.87。最優秀選手3度、ベストナイン4度受賞。
大学卒業後は社会人野球日立製作所に入社。1年目からエースとしてチームを引っ張り、第76回都市対抗野球大会に出場を果たした。社会人2年目の翌、第77回都市対抗野球大会北関東2次予選では、荻野の所属する日立製作所は出場権を巡って住友金属鹿島富士重工業を相手に予選だけでなく3度ものプレーオフを戦ったが、荻野はこれらの試合のほとんどに登板した。プロ入り後の週刊ベースボール誌のインタビューでは「野球人生の中でこの時が一番きつかった」と語っている。結局この年は自チームでの都市対抗野球出場は逃したものの、住友金属鹿島の補強選手として本大会に出場、1回戦で先発投手を任され、後に東京ヤクルトスワローズ入りする衣川篤史とバッテリーを組んだ。
同年秋の大学生・社会人ドラフト千葉ロッテマリーンズから4巡目指名を受け、12月6日に仮契約し入団。背番号0は2006年シーズンまで社会人時代の先輩、諸積兼司が着けていた。ロッテの投手が背番号0をつけるのは吉田篤史以来。これに伴い、2007年時点で背番号0の投手は佐藤宏志金剛弘樹に次いで3人目となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「荻野忠寛」の詳細全文を読む



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