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菅原 一秀(すがわら いっしゅう、1962年1月7日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(5期)、財務副大臣(第3次安倍内閣)。 経済産業副大臣(第2次安倍内閣)、厚生労働大臣政務官(第1次安倍内閣)、東京都議会議員(1期)、練馬区議会議員(2期)等を務めた。 == 来歴 == 東京都練馬区生まれ。早稲田実業高等学校、早稲田大学社会科学部卒業。1984年、早稲田大学政治経済学部に学士入学。1986年に卒業し、日商岩井に入社した。 1991年、練馬区議会議員選挙に出馬し、初当選。1995年に再選されるが、1997年に辞職。同年の東京都議会議員選挙に出馬し、当選。2000年、都議を辞職し、第42回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で東京9区から出馬。民主党前職の吉田公一に敗れ、比例復活も叶わず落選。2003年、第43回衆議院議員総選挙に再び東京9区から自民党公認で出馬し、前回敗れた吉田を下して当選した。2005年の第44回衆議院議員総選挙では、東京9区で民主党新人の川島智太郎を破り、再選。当選後、自由民主党副幹事長に就任。第1次安倍内閣では厚生労働大臣政務官に任命された。 2009年8月3日発行の朝日新聞紙面にて、2007年に菅原の選出選挙区である東京9区の支持者らに対して1個約2千円のメロンを贈っていた、と報じられた。公職選挙法では、国会議員およびその後援団体の、選挙区内での金品の贈与が禁止されている〔。 2008年自由民主党総裁選挙では、同じ東京都選出で都連会長の石原伸晃の推薦人に名を連ねる。2009年の第45回衆議院議員総選挙では東京9区で民主党新人の木内孝胤に敗れたが、重複立候補していた比例東京ブロックで復活し、3選。 2012年の第46回衆議院議員総選挙では、東京9区で日本未来の党に鞍替えした木内らを破り、4選。選挙後に発足した第2次安倍内閣で経済産業副大臣に任命された。2014年の第47回衆議院議員総選挙では、東京9区で5選。選挙後に発足した第3次安倍内閣では、選挙区内の有権者への顔や名前入りのカレンダーの配布や政治資金収支報告書の一部不記載により公職選挙法違反の疑いが報道されたため、再任を辞退した御法川信英に代わり、財務副大臣に任命された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菅原一秀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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