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菅原 義正(すがわら よしまさ、1941年5月31日 - )は日本のラリードライバー。北海道小樽市出身〔「現代日本人名録2002」日外アソシエーツ〕。 日本レーシングマネージメント株式会社取締役会長・チームスガワラ代表。 1965年10月のモーターファン・コンバインドラリーにホンダ・S600でモータースポーツデビュー。昭和40年代は主に国内レースで活躍し、1965年~1981年の17年間で国内59レースに参戦。1969年にレーサーのマネージメント業務を行う日本レーシングマネージメントを設立。1977年にはホンダ・アクティ3台とアコード1台でカラチ~リスボン間(20,000km/14カ国通過)を走破。1982年にはスズキ・ジムニー1000でサハラ砂漠(アルジェ~アビジャン間5,000km/5カ国)を横断。1983年からはダカール・ラリーに毎年参戦。以降、ファラオラリー、パリ・モスクワ・北京ラリー、ラリーレイド・モンゴル等の海外ラリーレイドに出場するとともに、国内でもツールドブルーアイランド・ラリー(通称TBI)や北海道4デイズ等のラリーレイドに精力的に出場している。 ダカール・ラリーには1983年の第5回大会から連続で出場しており、日本人で唯一モト(オートバイ)・オート(乗用車)・カミオン(トラック)3部門で出場した経歴を持つ。また1989年の第11回大会から2009年の第31回大会までダカール・ラリー連続完走を達成している。2005年の第27回ダカール・ラリーからは次男の菅原照仁とともに日野・レンジャー2台体制で出場。日本人初の親子ダカール・ラリードライバーとなった。2007年の第29回ダカール・ラリーで主催者のASOより25回連続出場の表彰を受ける。ダカール・ラリーのカミオン部門において、中型車ベースの車両ながらも大型車のモンスターカミオンと熾烈な戦いを繰り広げる菅原のレンジャーは、「リトルモンスター」の名称で恐れられている。レンジャーに取り付けられた鯉のぼりは菅原のトレードマークとして有名である。 2008年1月ギネス・ワールド・レコーズにダカール・ラリーの最多連続出場(25回)記録保持者として認定される。 2012年1月ギネス・ワールド・レコーズの本人が持つダカール・ラリーの最多連続出場(30回)記録を更新する。 == 略歴 == *1965年10月 - モーターファン・コンバインドラリーにホンダ・S600でモータースポーツデビュー。 *1969年1月 - 日本レーシングマネージメント株式会社を設立。 *1982年2月 - スズキ・ジムニーとオートバイでサハラ砂漠(アルジェ~アビジャン)横断。 *1983年1月 - 第5回パリ・アルジェ・ダカール・ラリーの二輪部門にホンダXL400で出場。 *1984年10月 - ファラオラリーにホンダ・アクティで出場、四輪車部門の最小排気量で完走。 *1991年1月 - 第14回パリ・トリポリ・ダカール・ラリーのカミオン部門に日野・レンジャーで参戦、日本人初のカミオン部門での完走者となる。 *1992年2月 - 1991年度ラリーアート・ドライバー・オブ・ザ・イヤーのラリーレイド部門に選ばれる。 *1992年7月 - 第16回参議院議員通常選挙(比例代表区)にモーター新党公認にて出馬。 *2005年 - 拓殖大学客員教授に招かれる。 *2008年1月 - ダカールラリーの最多連続出場(25回)記録がギネス・ワールド・レコーズに認定される。 *2012年1月 - ギネス・ワールド・レコーズの本人が持つダカールラリーの最多連続出場(30回)記録を更新する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菅原義正」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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