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菅沼 定仍(すがぬま さだより)は、戦国時代から江戸時代前期の武将、大名。上野阿保藩主、伊勢長島藩の初代藩主。 == 生涯 == 天正4年(1576年)、菅沼定盈の次男として三河野田で生まれる。父の隠居で家督を継いだ。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは駿河興国寺城や駿府城、美濃岐阜城の守備を担当し、その功績により慶長6年(1601年)6月、1万石加増の2万石で伊勢長島藩主として移封された。 しかし生来から病弱の上、父や正室に先立たれるという不幸も追い討ちをかけた。このために重病に倒れて療養していた最中の慶長10年(1605年)10月25日、京都で死去した。享年30。継嗣が無かったため、弟の定芳が養子として跡を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菅沼定仍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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