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菅沼 定忠(すがぬま さだただ)は、日本の戦国時代の武将。父は菅沼定継。 == 概要 == 生年は不明〔『戦国人名事典 コンパクト版』、429ページ〕。永禄4年(1561年)、徳川家康より所領を安堵され三河田峯城主となる〔。 元亀2年(1571年)、家康に反旗を翻して武田信玄の配下となり、三方ヶ原の戦いや野田城の戦いに参加した〔。 天正3年(1575年)の長篠の戦いでは敗走する勝頼を助け、自らは一時的に武節城に篭城したが信濃国伊那郡へ逃亡した〔。 武田氏滅亡後の天正10年(1582年)に、徳川氏配下の牧野康成と戦い討ち死にしたという〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菅沼定忠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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