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菅谷正巳[すがや まさみ]
菅谷 正巳(すがや まさみ、1961年7月22日〔名鑑2000、87頁〕 - )は日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンターに所属する元騎手で調教助手。京都府出身。元調教師の菅谷禎高は実父、調教師の武田博は叔父にあたる。 == 来歴 == 1983年騎手免許を取得し、栗東武田文吾厩舎所属としてデビュー。初騎乗は同年3月5日阪神競馬第7競走でハシメイセイ(16着)〔、初勝利は同年5月1日京都競馬第8競走でミラクルダイナであった〔。重賞は1988年の皐月賞2着(ディクターランド)、1996年の桜花賞4着(カネトシシェーバー)とGIで人気薄の好走があったものの勝利がなかったが、1999年の七夕賞を父の管理馬であるサンデーセイラで制して初勝利。これが唯一の重賞勝利となった。 1986年12月に武田文吾が死去し、厩舎が解散したため、叔父の武田博厩舎に移籍した。翌年の1987年には同厩舎を離れフリーとなったが、1991年に実父の菅谷禎高厩舎所属になった。所属になる前から菅谷厩舎の管理馬には多く騎乗していた。2002年に父の死去に伴い菅谷厩舎が解散したため再度フリーに転身している。 レースでは馬群を嫌い、多少スタートが悪くても鞭を入れて果敢に逃げるということが多い一方で、出遅れた時を中心に最後方から追走して直線で追い込むといったレースぶりであった。 2003年6月30日付けで騎手引退。騎乗成績は3,093戦287勝であった。引退後は昆貢厩舎で調教助手に転身した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菅谷正巳」の詳細全文を読む
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