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菅野和太郎[かんの わたろう]
菅野 和太郎(かんの わたろう、1895年6月20日 - 1976年7月6日)は、日本の政治家。大阪経済大学教授。 == 来歴・人物 == 愛媛県生まれ。1920年京都帝国大学経済学部を卒業後、昭和高等商業学校(現在の大阪経済大学)教授として活躍。1945年には理事長に就任した。この間、1942年旧大阪4区から翼賛政治体制協議会の推薦候補として翼賛選挙に立候補し初当選、以後通算9回当選した。戦前は翼賛政治会・翼壮議員同志会に所属し、戦後は翼賛選挙で推薦候補だったため公職追放。追放解除後改進党公認で第25回衆議院議員総選挙に立候補し当選、政界に返り咲いた。1954年、日本国際貿易促進協会関西総局総局長に就任。日本民主党を経て保守合同後は自由民主党・三木派に属した。 1959年、第2次岸改造内閣で経済企画庁長官に就任。1966年、第1次佐藤第3次改造内閣で外務大臣に横滑りした派閥領袖の三木武夫に代わり通商産業大臣に就任。1968年、第2次佐藤再改造内閣で、宮澤喜一の後任として再び経済企画庁長官に就任。通産大臣就任後から早川崇などとともに佐藤栄作・福田赳夫に接近する。1972年の佐藤後継を決める自民党総裁選で福田を支持し、早川・中村寅太とともに三木派から除名された。 1975年、日本国際貿易促進協会関西本部会長に就任。1976年7月6日、81歳にて死去。「ワタロー」の愛称で庶民派として親しまれた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菅野和太郎」の詳細全文を読む
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