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菅野 智之(すがの ともゆき、1989年10月11日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(投手)。神奈川県相模原市南区出身。 母方の祖父は、元東海大相模高校野球部監督の原貢。伯父(母親の兄)は前読売ジャイアンツ監督の原辰徳。 == 経歴 == === プロ入り前 === 神奈川県相模原市南区出身。小学校に上がる直前の10月8日に伯父・原辰徳の引退試合を観戦したことがきっかけで本格的に野球を始める。軟式の少年野球クラブ「東林ファルコンズ」に所属し、当時から投手を務めた。新町中学時代は3年夏に県大会優勝。関東大会でもベスト8に進出した。 東海大相模高校進学後は2年秋から主戦として活躍。最速148km/hを記録するなどプロからも注目を集めたが、甲子園出場は一度も果たせなかった〔尚、在籍時にチームは甲子園出場(2006年の選抜)はしているが、その時はベンチ入りできなかった。〕。3年生夏の神奈川大会準決勝の横浜高校戦では打者として珍しい「振り逃げ3ラン」を記録するなどし、6-4で勝利したが、続く決勝戦で桐光学園に8-10で敗退した。高校時代の野球部の同学年に、広島の田中広輔、1学年後輩には大田泰示がいる。 大学は東海大学へ進学し硬式野球部へ入部。1年秋から主戦を任され、2年春から4季連続で首都大学リーグの優秀投手を受賞。2年時には第37回日米大学野球選手権大会日本代表と第25回アジア野球選手権大会日本代表に選出され、U-26 NPB選抜 対 大学日本代表にも出場。3年春の第59回全日本大学野球選手権大会では準々決勝の同志社大学戦で7回参考記録ながらノーヒットノーランを達成し、準決勝の慶應大学戦では最速155km/hを記録し4安打17奪三振の好投で完封勝利を挙げたが、決勝で敗退。夏の第5回世界大学野球選手権大会では予選リーグのキューバ戦のアルフレド・デスパイネに対しての打席で自己最速となる157km/hを記録。4年秋にはリーグ新記録の通算14完封を記録しチームのリーグ優勝に貢献。最高殊勲選手と最優秀投手、ベストナイン、特別功労賞を受賞した。首都大学リーグでの通算成績は37勝4敗、防御率0.57、347奪三振。大学時代の野球部の1学年先輩には伊志嶺翔大が、1学年後輩には坂口真規、伏見寅威がいる。特に捕手である伏見とは2年以上バッテリーを組んでいた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菅野智之」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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