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菊原志郎 : ウィキペディア日本語版
菊原志郎[きくはら しろう]

菊原 志郎(きくはら しろう、1969年7月7日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。中央大学卒業。
== 来歴 ==
読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)の下部組織で育ち、戸塚哲也山口貴之財前宣之と続く「ヨミウリ天才少年」の系譜を受け継ぐ。1986年2月1日日本サッカーリーグ第15節フジタ工業戦において16歳7ヶ月の若さでデビューを果たした。これは当時の最年少出場記録であった。その後レギュラーの座を掴み、ラモス瑠偉らと共に中盤を支え同クラブの黄金時代を築き上げた。またこの活躍が認められ1990年には日本代表に選出された。
読売時代は天才ドリブラー、テクニシャン等数々の異名をとったが、Jリーグ開幕前後は、層の厚いチームにあったため出場機会に恵まれず、日本代表にも招集されることはなかった。
1994年、Jリーグ登録選手の出場機会提供を目的とした「レンタル移籍」制度の第1号として1年間浦和レッズに移籍。浦和には実弟の菊原伸郎(現・埼玉大学准教授兼サッカー部監督)が在籍していた。
当時の浦和は最下位で、弱小チームのレッテルを貼られており、浦和入団時の会見でチームの印象を聞かれた菊原は、「読売と比べればまだまだ(レベルが低い)」とコメントしている。
だが、結局怪我に泣かされ、その後目立った活躍はできずに引退した。
引退後は指導者として古巣ヴェルディの下部組織でコーチ、監督を務めた。2007年にはヴェルディトップチームのコーチを務める。
2012年現在、JFAアカデミー福島男子U-14の監督を務めている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「菊原志郎」の詳細全文を読む



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