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菊地 成孔(きくち なるよし、1963年6月14日 - )は、千葉県銚子市出身の日本のジャズ・ミュージシャン、文筆家、作曲家〔毎日放送制作のドキュメンタリー番組、情熱大陸の2005年7月3日放送分にて紹介される。〕。銚子市立銚子高等学校を経て、音楽学校メーザー・ハウスサックス科卒業。作家の菊地秀行は実兄。 == 略歴 == * 1983年 *加藤賢崇、岸野雄一らによるバンド、「東京タワーズ」のファンクラブ(常盤響創立)の会誌「京浜通信」に盛んに執筆〔ばるぼら「NYLON100% 渋谷系ポップカルチャーの源流」アスペクト に収録の岸野へのインタビューより。〕。その一部は2015年にリリースされた10枚組CDボックス「21世紀の京浜兄弟者」の封入冊子として再録されている。東京タワーズ周辺の音楽家集団「京浜兄弟社」と交流。 * 1984年 *ジャズの専門学校「メーザー・ハウス」に。学科はサックス。兄の菊地秀行に借金してテナーを買う。在学中に教えを受けた講師に橋本一子がいた。 * 1986年 *メーザー・ハウスでの仲間を中心に「TIPOGRAPHICA」を結成。 * 1989年 *「ニューエスト・モデル」、「メスカリン・ドライヴ」のレコーディングの全てのホーンズを担当。 * 1992年 * ハラミドリ、河野伸と共に、「SPANK HAPPY」結成。 * 1993年 *「山下洋輔ニュー・トリオ」に参加。 *「菊地成孔トリオ」活動開始。 * 1995年 *大友良英の「GROUND-ZERO」に参加。 * 1997年 *11月にSPANK HAPPYから河野伸が脱退。 *TIPOGRAPHICA解散。 * 1998年 *「壊死性リンパ結節」にかかり東京女子医大・耳鼻咽喉科に約2カ月入院。生死を彷徨う。 *10月にSPANK HAPPYからハラミドリが脱退。 * 1999年 *「東京ザヴィヌルバッハ」開始。「DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN」始動。 * 「大友良英ニュー・ジャズ・クインテット」に参加。 * 2000年 *岩澤瞳をヴォーカルに迎え、SPANK HAPPYを再開(第二期)。 * 2002年 *「ペンギン音楽大学」創設。 * 2003年 *初エッセイ集『スペインの宇宙食』刊行。 * 2004年 *東京大学駒場キャンパスにて音楽講義(「12音平均律→バークリーメソッド→MIDIを経由する近・現代商業音楽史」)。 *「菊地成孔」名義でジャズリーダーアルバムを初リリース。 *『歌舞伎町のミッドナイト・フットボール 世界の9年間とコマ劇場裏の6日間』を刊行。 *講義録『憂鬱と官能を教えた学校 「バークリー・メソッド」によって俯瞰される20世紀商業音楽史』刊行。 *4月5日、SPANK HAPPYから岩澤瞳が脱退。 * 2005年 *ソロアルバム「南米のエリザベステイラー」を演奏するためのバンドとして、ペペ・トルメント・アスカラール結成。以降「菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール」名義でアルバムを発表していく。 * 2006年 *国立音楽大学、非常勤講師に就任。 * SPANK HAPPY解散。 * 2007年 *DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN活動終了。 * 「菊地成孔ダブ・セクステット」結成(メンバー:菊地成孔(ts) 類家心平(tp) 坪口昌恭(p)鈴木正人(b) 本田珠也(ds) パードン木村(dub))。 * 2010年 *DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN、「DCPRG」名義で活動再開。 * 2011年 *ジャズの名門レーベル「インパルス!レコード」と契約。日本人ジャズミュージシャンとしては初の快挙。 * 個人事務所「ビュロー菊地」を設立。 * 2012年 *菊地成孔ダブ・セクステットに駒野逸美(Tb)が加入。新たに「菊地成孔ダブ・セプテット」として始動。 * ニコニコチャンネルにて「ビュロー菊地チャンネル」を開設。日記・映画評・グルメエッセイなどのメルマガ、ポップアナリーゼなどの動画コンテンツを配信。 * 2013年 *個人事務所「ビュロー菊地」が法人格を取得し、菊地が代表取締役に就任。事務所移転に伴い歌舞伎町を去る。ソニー・ミュージックアーティスツ子会社のヴィレッジミュージックへの移籍を発表。自身のレーベル「Taboo」を設立。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菊地成孔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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