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城卓矢[じょう たくや]

城 卓矢(じょう たくや, 1935年11月28日 - 1989年5月9日)は、日本の歌手作曲家である。本名・作曲家名は菊地 正規(きくち まさき)、1966年の改名前の芸名は菊地 正夫(きくち まさお)。ヨーデルを得意とし、独特のハスキーとこぶしが特徴で魅力的な声の持ち主であった。『骨まで愛して』のヒット後の一時期、映画俳優としても活動した〔城卓矢、日本映画データベース, 2010年8月14日閲覧。〕〔城卓矢、キネマ旬報映画データベース, 2010年8月14日閲覧。〕。
== 人物・来歴 ==

=== ウェスタン歌手として ===
1935年(昭和10年)11月28日、当時日本領であった樺太(現在のロシア共和国サハリン)に生まれる。兄の正巳はのちの作曲家北原じゅん(文れいじ)、作詞家・川内康範は叔父(叔母の元夫)にあたる。第二次世界大戦中に父が死去、引き揚げ室蘭市で育つ。
長じて上京し、横浜市中区曙町に住む〔カントリー四方山話 瀬谷福太郎、2010年10月3日閲覧。〕。ウィリー・ジェームズ(のちのウイリー沖山)とともにブルー・コースターズ(1956年結成)として活動していた瀬谷福太郎が、『NHKのど自慢』に出場してハンク・ウィリアムズの『ロング・ゴーン・ロンサム・ブルース』''Long Gone Lonesome Blues'' を歌い、満点を獲得した菊地を発見、同バンドに加入させる〔。同時に、ウイリー沖山にヨーデルを師事、同時期の沖山の弟子には山下敬二郎がいた〔。同バンドでのヴォーカリストとしての活動と平行し、横須賀で流しのシンガーとしても活動する〔。
ウイリー沖山の独立後、同バンドは解散し〔、菊地はカントリー&ウェスタンの歌手となり、1958年(昭和33年)、東京・有楽町の日本劇場で行なわれた第1回「日劇ウエスタンカーニバル」にウエスタン・キャラバンメンバーとして出演する。
テイチクレコード(現在のテイチクエンタテインメント)と契約、1960年(昭和35年)に菊地正夫の名で、ザ・コースターズをバックに、シングル『ひとりぽっちで』でデビューする。B面の民謡ロック『スタコイ東京』が話題となり、『ダッキャダッキャ節』等の同様の楽曲を連打するが、さほど売れなかった。1962年(昭和37年)にリリースした、出生地樺太に思いを馳せる楽曲『ふるさとは宗谷の果てに』は、のちに西郷輝彦がカヴァーしてヒットした。1963年(昭和38年)、東芝レコード(のちの東芝EMI, 現在のEMIミュージック・ジャパン)に移籍、『アホカイ節』等、民謡ロックを歌う。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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