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菊岡沾凉 : ウィキペディア日本語版
菊岡沾涼[きくおか せんりょう]
菊岡沾凉(きくおか せんりょう、延宝8年(1680年)7月 - 延享4年10月24日1747年11月26日))は江戸時代中期の俳人、作家。諱は房行、通称は藤右衛門、別号に崔下庵、南仙、米山など。
祖父伝来の婦人薬女宝丹、二日酔い薬清酲散を販売して生計を立てる傍ら、内藤露沾門下で俳諧を学び、江戸座で精力的に俳諧活動を行った。しかし、露沾の死後俳壇で孤立し、後世にはむしろ『江戸砂子』等の地誌、説話集の著者として名が知られる。
== 生涯 ==

=== 生い立ち ===
延宝8年(1680年)7月、伊賀国阿拝郡上野城下本町筋中町(三重県伊賀市上野中町)に造り酒屋清洲屋飯束瀬左衛門政安(法号三悦)の四男として生まれた。飯束家時代は勘左衛門と名乗った。まもなく、嫡子がいなかった母方の親戚にあたる福居町菊岡行尚の養子となり、名を房行とした。元禄12年(1799年)、行尚に実子が生まれると、分家して江戸に下り、藤右衛門と名乗った。住所は神田鍛冶町一丁目藍染川北側で、現在の千代田区鍛冶町二丁目2番地北部及び6番地に当たる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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