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菊池 新吉(きくち しんきち、1967年4月12日 - )は、岩手県遠野市出身の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。実弟の菊池利三も元サッカー選手。 == 来歴 == 後述のように育った環境はお世辞にもいいとは言い難いものだったが、読売サッカークラブ入団後は藤川孝幸を抑えてレギュラーを獲得。Jリーグではヴェルディ川崎で三浦知良、武田修宏、ラモス瑠偉、北澤豪、ルイス・カルロス・ペレイラ、柱谷哲二、都並敏史等と共にスタメンの座を不動のものにする。Jリーグ開幕後は、地元・遠野で「菊池新せんべい」なるものが発売されたほどであった。 1993年にはシーズン16完封の未だに残るJ1記録(2009年、FC東京の権田修一が並ぶ)、1stステージ2位と2ndステージ制覇と初代王座、1994年にはJリーグベストイレブン・日本代表にも選出され2年連続チャンピオンに貢献している。翌1995年もベストイレブンに選出された。1997年1月1日には第76回天皇杯全日本サッカー選手権大会を制覇している。 日本代表には、1994年に初招集され、同年のアジア大会にも全4試合に出場した。しかし怪我も多かったことから、1994年以前は松永成立、1995年は前川和也、1996年は下川健一の控えになることがほとんどであり、1996年後半以降はアトランタ五輪で大活躍した川口能活が台頭してきたことから代表にも招集されなくなり、結局A代表キャップ数は7試合にとどまった。 1997年以降はガンバ大阪からレンタル移籍で加入した本並健治とポジション争いを繰り広げる。当初はレギュラーだったが、1999年は完全に本並にレギュラーを奪われて2000年に川崎フロンターレにレンタル移籍した。しかし、浦上壮史からポジションは奪えず2001年にヴェルディ復帰。晩年は持病の腰痛に泣かされ、その年に本並と共に引退。 引退後は指導者の道に進み、古巣ヴェルディや栃木SC等のコーチを経て、2012年よりフロンターレのコーチを務める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菊池新吉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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