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菊池盛登[きくち もりと] 菊池 盛登(きくち もりと、1898年(明治31年)7月〔『新編日本の歴代知事』643頁。〕 - 1961年(昭和36年)5月2日〔『朝日新聞』(東京本社発行)1961年5月4日朝刊、11面の訃報より。〕)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事、禁衛府長官。旧姓・河野。 ==経歴== 大分県出身。河野円吉の二男として生まれ、菊池要六の養子となる〔。第七高等学校造士館を卒業。1923年12月、文官高等試験行政科試験に合格。1924年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し高知県属となる〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』240頁。〕。 以後、地方警視として佐賀県警察部、長野県警察部、大阪府警察部で勤務。さらに、宮崎県書記官・警察部長、山口県書記官・警察部長、警視庁総務部長、同特別高等警察部長などを歴任〔。 1943年7月、滋賀県知事に就任。戦時下の食糧対策として琵琶湖周辺の干拓事業を推進した〔。1945年4月、静岡県知事に転任し終戦を迎えた〔『新編日本の歴代知事』575頁。〕。同年9月、禁衛府次長に転じ、1946年1月、長官に昇進したが、同年4月に廃官となった〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』68頁。〕。同年、公職追放となり退官した〔。その後、大阪国際見本市幹事を務めた〔。
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