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菩提所観音寺跡 : ウィキペディア日本語版
菩提所観音寺跡[ぼだいしょかんおんじあと]

菩提所観音寺跡(ぼだいしょかんおんじあと)は、広島県広島市安佐北区にある、安芸熊谷氏菩提寺であった観音寺の史跡である。昭和26年(1951年)4月6日、広島県指定史跡

== 沿革 ==
承久3年(1221年)の承久の乱の後、安芸国三入庄に入部した熊谷氏であったが、時代が下り第5代の当主・熊谷直明が、その菩提寺として応永8年(1401年)に僧・空坦を招き、正法山観音寺として創立した。
当時の観音寺は非常に大きな寺院で、永正14年(1517年)12月には室町幕府の勅使・上野信孝が宿泊。また天文10年(1541年)から始まる月山富田城の戦いの際には、宿泊所として周防・長門国の戦国大名大内氏当主・大内義隆が、長期にわたって逗留したとされる。
その後、熊谷氏が毛利氏の家臣として勢力を拡大すると、観音寺も大いに栄えたが、天正19年(1591年)頃に広島城が完成すると熊谷氏も広島城下に移住し、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで毛利氏が西軍に味方して敗れると、熊谷氏も毛利氏に従って長門国へと移り住んだ。そのため観音寺も徐々に寂れていき、廃寺となった。
しかし江戸時代長州藩士熊谷氏の当主は家臣を墓参りさせるなどしており、寺は廃れても墓の管理を継続的に行っていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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