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萩原 智子(はぎわら ともこ、本名:佐藤 智子、1980年4月13日 - )は、日本の元水泳(競泳)選手。得意種目は背泳ぎを中心に、自由形や個人メドレーなども手掛けていた。 2000年シドニーオリンピック女子競泳日本代表。現役引退後の現在はスポーツコメンテーター・タレントなどで活動中。 テレビ神奈川アナウンサーの佐藤亜樹は夫(テレビ朝日のスポーツ局ディレクターの佐藤一馬〔萩原智子公式ブログ、2006年9月29日〕)の妹で、テレビ山梨アナウンサーの小嶋優は姉の夫。また、直木賞作家の東野圭吾は母方の親戚でもある。 == 経歴 == === 大学生時代まで・シドニーオリンピック代表選出 === 大阪府生まれ、山梨県育ち。中学3年になった1995年、全日本ジュニアチームのメンバーに選ばれる。 翌1996年に山梨学院大学附属高等学校入学(同級生に森田丈武)。在学中は3年連続でインターハイに出場し、200m背泳ぎで3連覇。1998年のアジア大会では100m、200mの背泳ぎ、並びに400mメドレーリレーの3冠を達成した。1999年に卒業後は学内制度により母系の山梨学院大学法学部〔講演依頼.com 〕へ進学した。これにより現在に至るまで同大学を活動の拠点とする。 入学した年にパンパシフィック水泳選手権200m背泳ぎで金メダルを獲得。翌2000年に行われるシドニーオリンピックのテスト大会だったこともあり、大きく期待されていた。 その2000年9月のシドニー五輪本番のレースは、200m背泳ぎでは同日本代表の中尾美樹と3位を争ったが、タッチの差で惜しくも敗れて4位入賞。200m個人メドレーでは日本女子のトップながらも8位入賞に留まり、共に念願の五輪メダル獲得はならなかった。それでも200m背泳ぎの決勝レース直後には、わずかの差で銅メダル獲得となった中尾に駆け寄り、笑顔で祝福の言葉を送っている。また萩原の活動が評価されて、大学が新たに建設した屋内プールは「シドニー記念水泳場」と命名された。 3年生になった2001年、福岡市で開かれた世界選手権では、800m自由形リレーのメンバーに選ばれ、銅メダルを獲得した。 4年生になった2002年、日本選手権で200m自由形、200m背泳ぎ、200m個人メドレー、100m自由形での史上初となる個人4冠を達成。しかしこの快挙が皮肉にも、彼女の水泳人生を大きく狂わせるきっかけにも繋がってしまう。 2002年8月に横浜市で開かれたパンパシフィック水泳で、200m個人メドレーでは金メダルを獲得。だが日本選手権優勝多数により、多くの種目にエントリーした強行日程が祟ったせいか、大会中に過呼吸を3度も発症し、200m背泳ぎ決勝レースを直前で棄権し、そのまま緊急入院する事態となってしまった。同年10月の釜山アジア大会代表にも選ばれていたが、重度の過換気症候群と診断されてこれも辞退。結局満足な結果を残すことが出来ないまま、大学生活を終えることとなった。 なお、大学生時代は教育実習もしており、その時の教え子に、当時高校生の松本哲也(読売ジャイアンツ)が居たため、今でも気になっているという。なお、プロ野球は特にどこのチームのファンというわけではないが、ファンである選手に松本の他、上原浩治、松坂大輔、内川聖一、栗山英樹を挙げている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「萩原智子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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