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萩原汎愛 : ウィキペディア日本語版
萩原汎愛[はぎわら ひろえ]
萩原 汎愛(はぎわら ひろえ〔 / ひろちか〔、1848年3月5日(弘化5年2月1日)〔『埼玉人物事典』632-633頁。〕 - 没年不明)は、幕末土佐藩士明治期の内務官僚。官選県知事。幼名・菅太郎〔『地方長官人物評』187頁。〕。
==経歴==
土佐国土佐郡本町(現:高知市)で土佐藩士の息子として生まれる〔〔。明治元年(1868年)、藩の別撰隊第二小隊付となり京都に赴任。戊辰戦争に従軍し大阪、中国路、北越などを転戦した〔〔「鳥取県少書記官萩原汎愛昇任ノ件」〕。
明治4年(1871年高知県准権少属に任官。以後、福岡県二等警部、同県少書記官、鳥取県少書記官、同大書記官などを歴任〔〔。
1892年8月、宮崎県知事に就任〔『新編日本の歴代知事』1080頁。〕。1894年1月20日、知事を非職となり〔『官報』第3167号、明治27年1月22日。〕、同年2月21日に依願免本官〔『官報』第3193号、明治27年2月22日。〕。1898年1月、埼玉県知事に登用され〔『新編日本の歴代知事』310頁。〕、小学校の改善、農会の充実、治水事業の推進などに取り組んだ〔。1899年2月21日、知事を非職となり〔『官報』第4690号、明治32年2月22日。〕、同年3月15日に依願免本官となり退官した〔『官報』第4708号、明治32年3月16日。〕。その後、旧藩主山内侯爵家の家扶を務めた〔「当世百人娘 (二) 萩原愛子」『読売新聞』1903年5月16日朝刊、4頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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