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萩風 : ウィキペディア日本語版
萩風 (駆逐艦)[はぎかぜ]


萩風(はぎかぜ)は、日本海軍駆逐艦#達昭和15年2月pp.44-45『達第三十一號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度及同十四年度ニ於テ建造ニ着手ノ敷設艦一隻、海防艦二隻、驅逐艦二隻、潜水艦二隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十五年二月二十三日 海軍大臣 吉田善吾|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 敷設艦 津軽(ツガル)|鶴見製鉄造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 国後(クナシリ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 海防艦 八丈(ハチジャウ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 嵐(アラシ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 萩風(ハギカゼ)|三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造 伊號第二十五潜水艦|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第二十七潜水艦|鶴見製鉄造船株式會社ニ於テ建造 第十三號驅潜艇』〕。陽炎型駆逐艦の第17番艦である〔#艦艇類別等級表(昭和16年6月30日)p.4『驅逐艦|一等|陽炎型|陽炎、不知火、黒潮、親潮、早潮、夏潮、初風、雪風、天津風、時津風、浦風、磯風、濱風、谷風、野分、嵐、萩風、舞風、秋雲』〕。1942年6月のミッドウェー海戦では空母加賀の乗組員を救助、赤城(南雲機動部隊旗艦)を雷撃で処分した。1943年8月のベラ湾夜戦で戦没した。
== 艦歴 ==

=== 太平洋戦争まで ===
マル4計画、仮称第113号艦として浦賀船渠1939年(昭和14年)5月23日起工〔#艦船要目公表範囲(昭和16年6月30日)p.20『艦名:萩風|艦種:一等駆逐艦|(性能略)|製造所:浦賀船渠會社|起工年月日14-5-23|進水年月日15-6-18|竣工年月日16-3-31|(兵装略)』〕。同造船所では、萩風のほかに5隻の陽炎型(不知火早潮時津風浜風秋雲)を建造した。
1940年(昭和15年)2月23日、仮称第113号艦は「萩風」(ハギカゼ)と命名された〔。同日附で姉妹艦嵐や敷設艦津軽等も命名されている〔。萩風は同年6月18日に進水し〔、11月15日附で井上良雄中佐(11月1日まで吹雪型駆逐艦艦長)は萩風の艤装員長に任命される。同時期、萩風艤装員事務所を設置〔『海軍公報(部内限)目録(十二月分)二|三六六七|第五潜水戰隊第六戰隊将旗移揚、第二十一水雷隊司令定變更、萩風艤装員事務所、第十五航空隊残務整理箇所』〕。
1941年(昭和16年)3月31日竣工〔。萩風艤装員事務所を撤去〔『○事務所撤去 海軍機雷學校(假稱)設立準備委員事務所ヲ三月三十一日撤去セリ/萩風艤装員事務所ヲ三月三十一日撤去セリ/第十四號驅潜艇艤装員事務所ヲ三月三十一日撤去セリ/第十五號驅潜艇艤装員事務所ヲ三月三十一日撤去セリ/第五冨久丸、海形丸事務所ヲ三月三十一日撤去セリ』〕。横須賀鎮守府籍。
同日附で萩風は陽炎型16番艦嵐と共に、新たに編制されたばかりの第4駆逐隊に所属することになった〔#内令昭和16年3月(3)p.2『内令第二百七十四號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十六年三月三十一日 海軍大臣 及川古志郎|第三驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |第四驅逐隊|嵐、萩風|』〕。第4駆逐隊司令は佐藤寅治郎大佐〔佐藤大佐は、軽巡神通艦長として神通が沈没したコロンバンガラ島沖海戦で戦死した。〕。また井上艤装員長も正式に萩風駆逐艦長に任命されている〔。佐藤司令は司令駆逐艦を嵐に指定した〔『○司令驅逐艦指定 第四驅逐隊司令ハ四月一日司令驅逐艦ヲ嵐ニ指定セリ』〕。4月28日、萩風は1日だけ司令駆逐艦となる〔『○司令驅逐艦一時變更 第四驅逐隊司令ハ四月二十八日司令驅逐艦ヲ一時嵐ヨリ萩風ニ變更、同日復歸セリ』〕。
6月18日、第4駆逐隊司令は佐藤大佐から有賀幸作大佐に交代した〔有賀大佐は第11駆逐隊《初雪白雪吹雪》より転任。佐藤大佐は第15駆逐隊《親潮夏潮早潮黒潮》へ転任。〕。有賀司令は、頻繁に司令駆逐艦を変更。萩風は7月9日〔『○司令驅逐艦一時變更 第四驅逐隊司令ハ七月九日司令驅逐艦ヲ一時嵐ヨリ萩風ニ變更、同日復歸セリ』〕、8月1日〔『○司令驅逐艦一時變更 第四驅逐隊司令ハ八月八日司令驅逐艦ヲ一時嵐ヨリ萩風ニ變更セリ』〕から8月16日〔『○司令驅逐艦復歸 第四驅逐隊司令ハ八月十六日司令驅逐艦ヲ嵐ニ復歸セリ』〕、8月19日〔『○司令驅逐艦一時變更 第四驅逐隊司令ハ八月十九日司令驅逐艦ヲ一時嵐ヨリ萩風ニ變更、同日復歸セリ』〕と第4駆逐隊司令駆逐艦に指定された。
10月上旬、四国沖での演習中に駆潜艇を誤射、井上艦長は「安全なる航海を祈る」と信号を送った〔#駆逐艦隊悲劇の記録33-34頁(空撃ちの筈だったが、演習弾が装填されていた)〕。10月31日、第4駆逐隊に陽炎型15番艦野分、18番艦舞風が編入され定数4隻となる〔#内令昭和16年10月(4)p.19『内令第千三百七號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十六年十月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第四驅逐隊ノ項中「萩風」ノ下ニ「、野分、舞風」ヲ加フ』〕。南方方面へ移動するため豊後水道を南下中、第4駆逐隊は試験航海中の大和型戦艦1番艦大和とすれ違った〔当時第4駆逐隊司令有賀幸作大佐は坊ノ岬沖海戦時に大和艦長として参加、大和沈没時に戦死した。〕〔#駆逐艦隊悲劇の記録212頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Japanese destroyer Hagikaze 」があります。



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