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萱生城[かようじょう] __NOTOC__ 萱生城(かようじょう)は、三重県四日市市萱生町字城山にあった戦国期の日本の城(山城)。城跡は暁学園の本部となり、わずかに「髪のびの井戸」などの遺構がある。一帯を支配した北勢四十八家の一つ春日部宗方(春日部家)が築城。 1568年(永禄11年)、織田信長による北勢侵攻で、攻撃を受け、後に落城した。 == 概要 == 萱生城主の春日部左衛門射は1568年(永禄11年)に織田信長の軍勢の攻撃を受けたが、要害の土地故、容易に陥落しなかった。数日後に水分が不足して、水付きにより落城した。〔勢陽五鈴遺響の記述〕一部は土塁状態になったがその他の遺構は、通称名で「髪のびも井戸」だけ残されている。その他の遺構は暁学園の学校用地の造成工事で全部削平された。朝明川の南岸、標高55mの急峻な台地に築城された。昭和38年度の『学校法人暁学園の平面地形図』で消滅前の形状を知ることができる。約30mの深い堀で区切られた北東側の郭には、5-10mの堀を4周にめぐらせた一段と高い25m四方の天守跡と呼ばれる壇がある。この郭の西側は、北西側が土塁、南西側が前後の堀で区画された一つの郭となっている。さらにこれから西側は広大な平坦地は続き何かの遺構だとされて朝明川流域の城では一番戦国期の城らしい城であった。立地は丘陵で規模は320m×160mであった。〔『三重県 中世城館』発行三重県教育委員会33頁~35頁〕
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「萱生城」の詳細全文を読む
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