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葛塚町(くずづかまち)は、かつて新潟県北蒲原郡にあった町。1955年3月31日の合併によって消滅し、現在は新潟市北区の一部となっている。 明治時代は新井郷川を利用した蒸気船により前身の葛塚村の頃から新潟-新発田間を中継する宿場町として栄えた。しかし、1912年(大正元年)に新津駅 - 新発田駅間に鉄道が開通すると、人の流れは鉄道へシフトし停滞期に入る。その後、白新線が開通することにより発展することを期待されながら、昭和の大合併により1955年に消滅することになる。 以下の記述は合併直前当時の旧葛塚町に関しての記述であり、現在では名称等が異なる場合がある。なお、ここに記述されていない内容に関しては新潟市などの記事を参照。 == 沿革 == * 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い北蒲原郡葛塚村が村制施行し、葛塚村が発足。 * 1901年(明治34年)11月1日 - 北蒲原郡葛塚村、太田古屋村、嘉山村(一部)が合併し、町制施行して葛塚町が発足。 町役場は常磐町にあった嚶鳴館に設置。町長事務取扱は市島次太郎が任命された〔。 * 1904年(明治37年)7月29日 - 町役場を下町(葛塚3297)へ移転〔。 * 1929年(昭和4年)11月1日 - 葛塚町水道を開設〔〔〔。 * 1955年(昭和30年)3月31日 - 北蒲原郡木崎村、岡方村と合併し、豊栄町となり消滅。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「葛塚町」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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